思い返すと、小学生・中高生だったかなり若い頃から、私は恋愛小説・恋愛映画・および恋愛について取り扱うことが多い少女漫画が苦手だった。長らくその理由を「私が非モテの陰キャだからか!?」と思い込んできたし、実際そういう面もあったとは思うのだけど、今ならもう少しきちんと、それらがなぜ苦手だったのかを説明できる。恋愛に縁がない非モテだったから恋愛エンタメに興味がわかなかったというよりも、それらの作品において暗黙の了解のようになっていた、恋愛至上主義的な価値観が合わなかった――今なら、そうだとはっきり言える。恋愛は人生の中でそれなりに大きな割合を占めているかもしれないが、あくまで一部であってそれが全部ではない。だから少女漫画であっても、『ベルサイユのばら』とかは例外的に昔から大好きだった。
ところが、自分はずっとこうなんだろうと思っていたところ、30代も半ばに差しかかったこの時期になって、今さら恋愛小説・恋愛映画・恋愛漫画が大丈夫になってきた。オタクになって二次創作にどハマりし、推しカプの恋愛(のようなもの)を描写する必要性に迫られたせいかもしれない。私はいまだに独身だけど、まわりがどんどん既婚者になって落ち着いていき、恋愛に対して距離を取れるようになったからかもしれない。あるいは世の中が変化して、恋愛が人生の最重要事項じゃなくてもいいという価値観がちゃんと認めてもらえるようになったからかもしれない。自分では最後の理由がいちばん大きいのではないかと思っているんだけど、とりあえず、昔は苦手だったものが最近は大丈夫になってきた。楽しめるものが増えるのはいいことだ。
最近読んだ本もそういうわけで、村上春樹が海外の恋愛短編小説を翻訳した『恋しくて Ten Selected Love Stories』だ。10編の小説が収められているこのアンソロジーの一部の作品について、今回は語らせてもらいたい。
少しダークでそこそこ屈折した恋愛小説
さっそくだけど、私がこのアンソロジーにおいて最初に「ほおお」と思ったのは、訳者である村上春樹によるあとがきである。村上春樹は「できるだけストレートで素直で、すらりと読めて、心がそれなりに温まる恋愛もので、しかも比較的最近に書かれた未訳の作品」を集めようと思ったらしいのだが、そういう作品を見つけるのにけっこう苦労したという。そのため、途中で方向性を変え「いくぶんひねりのきいたもの、少しダークなもの、そこそこ屈折したもの」もアリにしたということだ。
恋愛エンタメが大丈夫になってきたとはいえ、ストレートで素直なものよりは少しダークで屈折したもののほうがまだまだ大好きな私にとってはありがたい方向転換だけど、純文学の世界にはそれほどまでに真っ直ぐでポジティブなラブストーリーが少ないものなのかとちょっと驚いてしまった。いや、「エンタメ界全体」ではなくて「純文学界」においてはそりゃそうだろ、という話なのかもしれないけど……。
『恋しくて Ten Selected Love Stories』にも、心温まる甘い話から後味がほのかに苦いものまでいろいろな恋愛小説が収録されている。私が特に気に入っているのは、リチャード・フォードの『モントリオールの恋人』。あるカップルの不倫が女性のほうの夫にばれ、主人公と夫が対峙することになる話で、10ある短編の中でも屈折度がMAXレベルのものだ。「Dominion(支配権)」という原題を突き出されるとさらに「どういうこと?」という感じになる。でも、ちょっと屈折していてよく意味がわからないくらいのほうが、何年後かにもう一度読もうかなという気になるので私は好きだ。
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