時間をかけた相手から見返りが欲しい。そんな思いにとらわれたら読んでほしい、イーユン・リー『もう行かなくては』

by Isabela Drasovean

「私は夫や子供や庭に囲まれた、長くいい人生を送ってきました。人に頼らず自己充足した人生を送ってきました。いわゆる幸せな女です」

――こんな一文を見つけたら、多くの人は「そりゃよかったね」と思いつつ、ちょっとだけイラッとするのではないだろうか。イラッとする原因は、「人に頼らず自己充足」と言いつつ「夫や子供や庭に囲まれた」とわかりやすい幸せのイメージを冒頭に持ってきていることと、あとは単純に「いわゆる幸せな女です」という言い方になんか腹が立つのだと思う。しかし本人もそのことには自覚的であるようで、この文章を書いたイーユン・リーの『もう行かなくては』の主人公リリアは、直後に「ばかばかしい!」と自分が書いた文章を頭の中で打ち消している。

『もう行かなくては』の主人公リリアは、81歳。今は高齢者施設で暮らしているが、これまで相性のいいパートナーとともに5人の子供を産み育て、また17人の孫がいる。長い人生の中で紆余曲折はもちろんあっただろうが、たくさんの家族に囲まれて、自分の人生を振り返ったとき「いわゆる幸せな女です」という言葉が出てくるのであれば、その人生は確かに幸福だったのだろう(イラっとするけど)。

しかしページをめくっていくと、どうもそう単純には行かないらしい。リリアの人生は、癒えることのない喪失と、パートナーではないある男性への執着に満ちていた。今のところ私が2022年に読んでよかったと思う小説の1に輝いている『もう行かなくては』の話を、今回はさせてもらいたい。

時間をかけた相手から見返りが欲しい。でも……

高齢者施設で暮らしている81歳の女性が、自分の人生を振り返る。『もう行かなくては』は確かにそういう小説なのだが、その振り返り方が少々独特だ。

リリアは昔の恋人・ローランドが生涯で1冊だけ出版した日記本を手に、思い出に耽っている。ローランドは実はリリアの長女であるルーシーの父親で、しかしローランド自身はそのことを知らない。リリアもローランドの日記本の中に一応は登場するが、決して彼の生涯における重要人物ではない。「L、身元不明の恋人」。本の中でローランドの親族がそう脚注をつけているのがリリアである。リリアにとってのローランドは生涯忘れられない人だが、ローランドにとってのリリアはほとんど人生に何の爪痕も残していない。

しかし、リリアは心の中でこう呟く。「私は彼の人生の中では小さな存在で、ルーシーは彼の人生にまったく存在しない。でも、それでいいの。忘れないで。他者から見返りを求めるのは弱い人間だけ。私たちには私たちの見返りがあるのよ(p123-124)」。

物語の最初のほうで明かされるが、実は長女のルーシーはリリアが44歳のとき、自死を選んでいる。長女の死はもちろんリリアに81歳になっても癒えない喪失をもたらしているが、その父親は、自分にそんな娘がいることすらそもそも知らないのだ。これほど非対称的な関係性の中で、リリアは「他者から見返りを求めるのは弱い人間だけ」と言い切る。ある意味では自分に言い聞かせるように。

冒頭で「なんか嫌味だな~」と思っていた「人に頼らず自己充足した人生を送ってきました」というリリアの言葉が、読み進めていくとこうして重みを持ってくる。自分が時間をかけた相手から見返りが欲しい、たとえば27歳から3年交際したのであれば相手に結婚してほしい。それは人として特に珍しい欲求ではない。でもそんな欲求がある人が『もう行かなくては』を読むと、響くのではないかと思う。自己充足とは何か。自分を犠牲にはせずに、でも見返りも求めない。なかなかできることじゃないけれど……。