「可愛い」「可愛い」どこに向けられているんだろう
どのくらい時間が経っただろう。飲み会帰りだからゆっくり飲んでいる私に対して、一子さんはハイペースでお酒を飲んでいた。だからもう、気づいたら彼女は出来上がっていて、今、私の両手を握っている。
「可愛いね。経験ないでしょ?」
「女性とは、はい」
「そうだよね、わかる。ストレート?」
「の可能性が高いと思ってます」
んふふって笑う一子さんは、大人だってことを示すみたいに私の手の甲をなぞる。はーい全て了解。確認しました〜。ロールプレイかと思うくらいわかりやすい展開だった。それって誰にでもできることで、全然面白くないし、好きじゃない部類のはずなのに、私の口角は上がる。楽なのだ。楽だし、別に楽しい。楽しむことができる。それに実際、してみたかった。
「可愛い」
また、同じ言葉が繰り返される。私に向けられているはずなのに、全然届かない。
「可愛い」
じっと私の目を見る一子さんはもしかして、私の瞳に映る一子さん自身を見ているの?
「可愛い」
この人は、可愛いって言うのが好きなのだ。可愛いって、言える自分が好きなのだ。通りで届かない訳で、でも別に構わない。それであなたが盛り上がるなら、どうぞそうしてくださいよ。だってお姉さん、キスしてくれんでしょ?してよ。私は知りたかった。超凡庸だけど今ここで、一子さんとキスをすれば、知らない私が見つかるんじゃないかって思ったのだ。もっと自分に合った生き方がどこかにあるんじゃないかと願っていたから。
ロールプレイは、お互いの協力がないと進めない。だから私は自分の右手を一子さんの手にかぶせる。さっきされたのと同じように、手の甲をなぞる。だけどその湿った指には、私のほころびが宿っていて、たぶん私は間違える。わかっているけどドキドキする。それは、キスすることへのドキドキなのか、罪悪感からくる心拍上昇なのか、判断がつかない。このくらい、よくあることだと瞳を閉じた。