あなたを使って自分を知った最低の夜/長井短

わかってる、わかっててわざとやってる
隣に座った一子さん

仲良しの友達と、お互いそれぞれの飲み会を終えてから二丁目で合流するのにハマっていた。もうそんなに飲まなくてもよくて、でももっと誰かと喋りたいし楽しい場所に身を置きたい。私は、クタクタにならないと家に帰りたくなかった。あの頃は、ただ楽しいからそうしているって思ってたけど、今振り返るとなんか色々傷ついてたんだと思う。だから、一日の終わり、眠りにつく前までに、その日傷ついた分楽しんで帳尻を合わせたかったのだ。新宿二丁目は、それがしやすい場所だった。知らない人と話すのは苦手だけど、ここでなら何故かできる。踊ったり歌ったりって、普段なら恥ずかしいはずなのに、その店では不思議なくらいにスムーズにできた。そこでどんな人に会って、何を話していたのかは、今はもうほとんど思い出せない。だけど唯一覚えているのが一子さん。

一子さんは私より少し年上で、ショートカットのきつい眼差しの人だった。友達と二人で飲みに来ていた私は最初のうち、他のお客さんと喋ることもなく、ただ二人で時間を過ごしていた。そうしているうちに、目が合い続ける人がいることに気づく。すごい頻度で私たちの前を行ったり来たりする一子さんは、私の隣に座っていたお客さんが帰った瞬間そこに座った。だからって別に、挨拶する必要はないですよね?右肩に強い気配を感じるけれど、ひとまず無視して会話を続ける。どんどん肩は重くなる。ちょっともう、これ以上は耐えられないです強すぎます存在感が!と思った時、一子さんは語りかける。

「二人で来てるの?」

第一球は、どう考えてもそうだろっていうど真ん中ストレート。テンプレすぎる会話の糸口に笑いそうになっちゃうけど、どこか私はホッとしていた。この場所に、ものすごく慣れていそうなお姉さんでも、知らない人に話しかける時ってこんなもんなんだ。別に最初からパンチラインとかなくてもいいんですね。今思うとそりゃ当然なんだけど、普通のことを言ったら殺されるんじゃないかっていう強迫観念に取り憑かれていた当時の私はほんと、この第一声に救われた。

そうです、と答えると「よく来るの?」って第二球。どこにでもある、石橋叩きみたいな会話が続いた。一子さんはもう完全に、私に正対して座り始めていて、友達が気になって視線を逸らす。すると、そこにいたはずの彼女はもういなくて、向こうのほうで楽しそうに、知らない人と談笑していた。なるほど。今日はそういう日か。きっとこれからこの店で、時々お互い様子を伺いながら、ラインで状況報告し合うのだ。「マジで帰りたい」の合図は決めている。だからそれまでは、この、何も知らない一子さんとの会話を楽しもう。
一子さんはこの店の常連らしく、なんでも聞いてって具合に薄く私に笑いかけた。正直、別に知りたいことはなかったけれど、まぁせっかくならとお薦めのお店を何軒か聞いた。すぐにいくつかの店名が上がるけれど、当然覚えることなんてできなくて、きっと一子さんもわかっている。わかってて、わざとやっているのだ。

「ライン教えてよ!送っとくからさ」

流れるような所作だった。私も流れるように、ライン交換画面を出す。QRコードじゃなくて、カメラの方。別に交換したくないわけじゃなかったけど、交換したいわけでもないから、主導権は譲りたくなかった。彼女は何か察したようで、黙ってQRコードを表示した。