お前のどうでもよさが、どうでもよくなく大切だった時/長井短

見下しコミュニケーション

お金は無いけど時間と体力だけは無限だった頃、自分がどんな生活を送っていたのかうまく思い出せない。とにかく暇で、お金はなくて、だからバイトをしてみるのにすぐに辞めてしまうような毎日だった。あの頃私が知り合うのは年上の人ばかりで、みんなは私みたいにバイトをバックれたりしない。みんな偉いな働けて、なんてクソみたいなことを思っている時、出会ったのが三太郎。

歳の近い男性だった。確か年は私の一つか二つ上で、それなりに良い大学に通っていた三太郎は、良い大学に通っている人間特有の腐り方をしていた。何もかも、最終的には学歴でなんとかなると考えている三太郎は、多分たくさんの人を見下していて、私も見下されているうちの一人だった。話は全然合わない。だけど時間は合った。ろくにバイトもせず、親の脛を齧るどころか吸い上げ続ける私たちは、頻繁に会うようになる。公園を散歩したり、金の蔵に行ったり、時にはクラブに行ってみることもあった。どれだけ気の合わない相手でも、会い続ければだんだん馬はあってくるのが普通だろう。でも、私と三太郎はずっと、何も噛み合わなくて、別にそんなに会いたくもなくて、なのにどうして遊ぶんだろう。

「大学つまんないんだよね」と言っていたはずの友達たちは、もうすっかり居場所ができたようだった。専門に進んだ友達は、すでに社会を動かしている。私はあの時、そうやってきちんと頑張っている友達に会うことが辛かった。みんな、着々と人生を歩んでいる。なのに私は、いつまでもいつまでも演劇をやっていて、好きでやってることなのに身動きが取れない。「好きでやっている」それ自体が辛かった。好きなことのために、好きじゃないことをする人生の方が本当は幸せなんじゃないかとか、そもそも自分は何がしたくて演劇をやってるんだろうとか、今でも答えの出ていない疑問にぶつかり始めていたあの頃。三太郎は、私と同じように今にぽつんと立ち止まっている男性で、その「ぽつん」に少しだけ雑音を響かせてくれる人だった。恋心はない。ただ、お互いにとってちょうどよかった。私もきっと三太郎を見下していた。見下しあえる私たちは、一緒にいれば惨めな気持ちにならないで済む。