それもこれもフェミニズム?

私は今のフェミニズムの大きな特徴はやはり、TwitterをはじめとするSNSの普及ではないかと考えています。有名人でも学者でもない、世の一般の女性たちが感じている生きづらさの可視化に大きな役割を果たしたのではないでしょうか。
けれども!「フェミ(ニスト)」というワードの炎上ぶりはもう…なんと言ったらいいのか…。

よく聞くのは、「フェミって怒ってばっか」。
この辺に関しては、「怒って何が悪いんだ」の一言です。

生きづらさから生じる「怒り」や「悲しみ」は常に女性運動に限らず、社会運動のベースにあるもの。それらが人々の間で共有されることに大きな意味があることは間違いないでしょう。

だからといって、女性一人ひとりの怒りの声を例外なくすべてフェミニズムとして捉えるべきかと聞かれたら、私はそうは言えません。
これは私個人の中での線引きの基準なのですが、特定の人への差別や暴力が入った主張を、フェミニズムと呼びたくはありません。

フェミニズムの歩みは、決して差別問題に関してクリーンではありませんでした。ですが同時に、内部からの批判と自己修正を続けてきた歴史があります。
例えば、70年代のフェミニズムはレズビアン同士の関係「タチ(攻める側)・ネコ(攻められる側)」は、男と女の“性別役割分業”を強化するものであるとみなし、レズビアンを「ラベンダー色の脅威」と呼んで遠ざけました。
しかし80年代に入る頃には、そういった見方は偏見であり女同士の分断をまねくだけだとフェミニズム内部から指摘され、レズビアンの問題は同性愛問題としてだけではなく女性問題としても考えられるようになります。

女性差別がダメで同性愛差別がOKなわけがないですし、また人種差別がダメで女性差別がOKなはずがありません。当然、男性差別も許されません。それはミサンドリー(男性嫌悪)と呼ばれるものであって、フェミニズムではありません。

何かひとつでも差別を許さないのならば、いかなる差別も許してはいけないはずなのです。

おわりに

…はい。最初ゆるめな空気出しておいて、けっきょくお堅いこと言ってますね!詐欺!
でも、もう一つだけ、主張させてください。

フェミニズムは専門的に勉強しなければいけないものではありませんし、また女性を応援する気持ちがあるといっても、もし名乗ることにプレッシャーを感じてしまうならばフェミニストを名乗る必要もないと思います。
本来、女性を解放するはずのものにわざわざ窮屈な思いをする必要はありません。

ですが私は、せめて先人の女性たちが何を掲げてきたか、何を信じて戦ってきたのかは知ってほしいのです。彼女たちが積み重ねてきたものを知らないまま、その歴史をリセットしたままでの議論はウワ~~勿体な~~~い!!と思っちゃうから。

今まで一番もったいな~い!と思った案件は、お茶の水女子大学がトランス女性の受け入れを表明したときに起こった議論です。
あの時、Twitterではまるで「フェミvsトランスジェンダー」のバトルのように言われていました。ですが、実はフェミニズムにおいてトランス排除的な一部のグループは、70~80年代から「TERF(trans-exclusionary radical feminism)」という語を使って既に批判されています。そういった反省からも、今のフェミニズムは基本的に「女性差別をはじめ、いかなる差別にも反対する」という姿勢をとっているのです。

だ と い う の に…!
2019年にもなって、フェミニストを名乗る人たちが「女性の安全のため」という“正義”を掲げて堂々とトランスジェンダー差別をするのを見て、ただただ虚しくなりました…。がんばろう2020。

最後に、大学で先生がおっしゃっていた言葉をお借りして終わります。

「批判のために拳を上げる必要はある。でもその目的はあくまでも傷ついた人の名誉の回復で、いつか拳を下げる時がくることを忘れてはいけない」

いつか下げる日を夢見て、拳ぶち上げていきましょうや。