「いろんな価値観を認めることが多様性!」と言うけれど、価値観の問題だけじゃないかもしれない

by Chris Barbalis

先日、村上春樹がかつてアメリカで暮らしていた頃のエッセイ『やがて哀しき外国語』を読んでいたら、こんな記述に出会った。いわく、村上春樹が現地のアメリカ人と世間話をしていると、決まってされる質問があるというのだ。その質問というのは、以下の3つ。

(1)アメリカの住み心地はどうか?
(2)ゆくゆくは英語で小説を書くつもりなのか?
(3)奥さんは何をしているのか?

村上春樹は、(1)には「なかなか良い」と答え、(2)には「書けるわけがない」と答える。問題は(3)だ。この話が載っている章は以降、「(3)奥さんは何をしているのか?」に対する、村上春樹の考えが綴られている。ご存知の人も多いだろうけど、村上春樹は学生時代に結婚していて、今現在まで長年連れ添っているパートナーがいる。

村上春樹の奥さんは、日本語でいうところの「専業主婦」だ。したがって、最初は(3)の質問に「何もしていません。ただのハウスワイフです」と答えていたらしい。が、日本よりもフェミニズムの意識が高いアメリカ社会において、次第にその回答だと居心地が悪いことに気づいていく。そのため、あるときは「僕の個人的な編集者兼秘書です(嘘ではない)」とか、またあるときは「写真を撮っています。カメラマンです(これも、別に嘘ではない)」と答えるようになっていったらしい。もちろん、村上春樹は妻に「家にいて、僕の仕事をサポートしなさい」と命じているわけではない。書かれていることを信じる限り、自らの意志で、村上春樹の奥さんは「専業主婦」をしている。

全員が全員、バリバリ働きたいわけじゃない

書き始めてはみちゃったものの、ちょっと私の手には負えないかもってくらい、ここには複雑な問題が潜んでいると思う。

バリバリ働いてキャリアを積みたい実力ある女性がいるのに、出世を阻まれ、家庭で家事育児に専念することを強いられる――というようなことは確かに、今日あってはならないこと。ただ、男性もそういう人は実はものすごく多いんだろうけど、この世の全員が全員、バリバリ働いてキャリアを積みたいわけではない。男性や私のような独身はそれでも半強制的に「働く」ことを強いられるけど、はたして専業主婦(主夫)のような立場にある人のことを、「経済的に自立していないから配偶者に依存している」みたいに捉えてしまうのは、どうなのか。

ここで「夫婦のあり方、パートナーとの付き合い方は人それぞれ」「いろんな価値観を認めよう」と結論づけて終わるのは簡単だ。でも実際は、シングルインカム家庭は離婚や病気などの不測の事態に対応しにくかったり、専業主婦(主夫)がキャリアを再スタートしようとしても、難しかったりする。もちろんだからといって、「すべてのカップルは働いて稼ぐのも家事も育児もほぼほぼ公平に分担しなければならない」という結論も、それはそれで違う気がする。