「旧・おもしれ〜女」にさよならをーー誰も否定しないでモテたくない?/長井短

もうすぐ新学期! 皆さん緊張してますか? 私は特に新生活が始まるわけでもないのにドキドキしています。時代が変わっても、たぶん第一印象ってずっと大事で、だからこの春休みみたいな時間って超気合が入るよね。皆さんは、どんな第一印象でスタートダッシュを切ろうとしていますか? 可愛いとか守りたいとか、いろんな既存の価値基準があるけど、私が昔から「いや絶対これっしょ」と信じて疑わないのはもちろん「おもしれ〜女」。い、い、言われてぇ〜!!!

所謂「おもしれ〜女」ってちょっと狡いっていうか、意地悪な面もない? 意地悪はできるだけしたくないので、今回は「令和版!新・おもしれ〜女」について考えたいと思います!

旧・おもしれ〜女の罪

皆さんが思う「おもしれ〜女」は誰ですか? 私が思うのは「私」なんだけど(肯定感高すぎ)やっぱり元祖おもしれ〜女といえば、牧野つくしだよね。超富裕層学校に通いながらも、金っていう価値基準に染まらずに、自分の信じる道を強く歩き続ける女…面白いじゃねーか。ってことなんだろうけど、私、生意気にもこのタイプのおもしろにはそろそろ異議を唱えたいの。

牧野つくしをはじめとした、「旧・おもしれ〜女」達っていうのは、あくまで「誰かと比べた時に面白を発揮する」っていうタイプ。これは言い換えてみると、その他大勢の女の子を『つまらない、本質の見えていない俗物』と捉えさせていることにもならない? 私は、そういうのは嫌なの。誰のことも蹴落とさない「新・おもしれ〜女」になりたいのです。

旧・おもしれ〜女の特徴は、多数決の逆をいくこと。例えば、お金持ちの美人間に対して「字が綺麗だね」って褒めるとか、なんかどっかの社長に対して「ピンときません」って言うとか。ガラ空きの胴に突然褒め言葉が飛んでくると、驚きで時間が止まることが多いし、同調に慣れている人は、少しの批判にクラっと来るものだ。そうして、相手の中に革命が起きる。今まで自分が価値を見出していた諸々がガラクタに見えてくるのだ。

自分に革命を起こした女のことを、人は「運命の女」と呼ぶ。だから「旧・おもしれ〜女」は、最終的に運命の女として人生の伴侶になるパターンが多い。その影で、ガラクタにされる女たちは、物語で描かれない。革命が起きる前に彼を支えていたのは、他でもないその女たちなのに。ひどくない? 普通に。しかもムカつくのは、運命の女となった旧・おもしれ〜女は、自分がその女たちを踏みつけにしていることに全然無自覚なのだ。せめて感謝しろよと思う。その子たちのフリのおかげで、今のお前があるんだぞ。その子達がいなかったら、お前はただの天邪鬼キッズなんだぞ。