独り相撲でいさせてください

多数派の逆をいくことを個性って呼ぶことに私は反対で、多数の中にも少数の中にも同じだけの個性があるはずだ。その一つ一つの個性がおもしれ〜はずなのに、どうして古から伝わるおもしれ〜女ってのは、多数派の置いたちゃぶ台をひっくり返すことばかりなんだろう。一人じゃ何もできないのか? フリがないとおもしろくないの? そんなの悔しい。誰のことも踏みたくない。私は、自分で置いたちゃぶ台を自分で破壊したいし、そのちゃぶ台で茶だって飲みたい。それだっておもしれ〜はずだ。

新・おもしれ〜女は、人の置いたちゃぶ台は使わない。ただ、ひとりでに、思っていることを言う。「おもしれ〜女」って思われようとももはやしない。空が綺麗だと思ったら「空が綺麗」って言うし、可愛い動物がいたら「可愛い」って言う。そうして置いた私のちゃぶ台には、きっと大量の旧・おもしれ〜女が駆け寄ってくるだろう。「空が綺麗なんて、思ったこともなかった…」「動物にも心はあるよ」「舐めんじゃねえ〜」エトセトラエトセトラ。

その言葉たちが私のちゃぶ台に手をかけてひっくり返そうとしてくるけど、私は絶対にこのちゃぶ台をひっくり返させない。私のフリは私が使うんだよ。あんたのためのフリじゃねーよ。私は鬼の形相で、そのちゃぶ台の上でタピオカを飲む。自撮りしてインスタにも上げる。「タピオカwww」とか古くない? そのおもしろ。

誰の犠牲の上にも立たない「新・おもしれ〜女」は、ただ自分のちゃぶ台の上で、大きな声で自分の意見を言う。「お餅が米って罠じゃない?」それの何がおもしれ〜かは正直私にもわかりませんけど、人間ってめっちゃ多いから、どこかに一人くらいは、私の考え方を「おもしれ〜女…」って思ってくれる人がいるはずだ。このやり方なら、誰の屍の上にも立たずに済む。

多数派の逆をいくのってコツさえ掴めば簡単だし、面白いって思われやすいけど、でもさ〜。そろそろそういう、誰かを踏みつけることで自分の個性を示すの、やめにしません?
「令和版おもしれ〜女」は、誰と比べなくても自分の意見をしっかり持ってる、楽しい女であるといいなと思います。みんなで目指そ!!

TEXT/長井短

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