これは「ラブストーリー」ではない
大好きな映画、どうしても妙に特別なある恋愛映画があって、好きとは言いつつ観る度に胸が痛くなって、それでまた余計に心に残ってしまう。この感じ、恋みたいだなぁといつも思っています。
そもそも私たちは、なぜ恋なんてしちゃうんでしょう?
好きになっても好かれるとは限らないし、同じ好きでもそうそう天秤はつりあわないのに。
でもそんな一方通行の切なさを一度でも味わったことがある人にはぜひ観てみてほしいのが『(500)日のサマー』です。
恋愛映画と呼んでしまったものの、この作品、ラブストーリーではありません。
なにしろ冒頭からナレーションがそう言っているのだから間違いないと思います。
曰く、「これはボーイ・ミーツ・ガールの物語である」と。
主人公・トムは恋に恋するアラサー男子。たったひとりの運命の女性と出会うことこそが人生の本懐と思っているような人です。ロマンティストで繊細なナイスガイですが、思い込みは激しいタイプ。
メッセージカードをつくる会社でだらだらと働いている彼は新入りのサマーを見て、彼女こそが「その人」だと直感。
ところがサマーはありとあらゆる男に「その人」だと思わせてしまうような女の子だったのです。しかも、天性の。
ちょっとエキセントリックで、何でも心から楽しむ。いつも飾らない笑顔で、下ネタだって大丈夫。
絶世の美女でもないのに出会う男性をみな虜にしてしまうサマーは、それでいて、「愛なんて絵空事」が信条のリアリストでした。
タイトルの少し変わった「(500)日」はトムが過ごしたサマーという一つの季節を表していて、出会った日はまさに(1)日め。
出会いから蜜月、別れと更にその先まで……時系列が不規則にあっちこっち飛びながら恋のかたちが浮き上がってくるという、一風変わったラブストーリー、じゃなかった、ボーイ・ミーツ・ガールストーリーです。
(28)日めにトムとサマーは「恋愛なんて邪魔なだけ」「本当の恋をすればわかる」と論戦。
好意だだもれのトムに「友達になりましょ」と言ってくれたサマー。
なのに週明け(31)日めにはコピー室でキス!!!!!!!!!
トムの心も追いつかない速さで二人は【恋のようなもの】に雪崩れ込んでいきます。
まっすぐなトムの愛情を心地よく感じながらも「シリアスな関係は望んでない」「私たちは友達」と線を引くサマーと、分かっちゃいるのに浮かれては落ち込むジェットコースター状態に陥るトム。
果たしてこの関係はどこに着地するのか。観客なのに傍観者でいられないような、胸も胃もキリキリ痛む95分です。
誰もが心動かされる
私の観測する限り、この映画を観た人の反応は主にいくつかに分かれます。
①トムに感情移入して心が千々に乱れる
②トムの気持ちがわからん!サマーはビッチだ!!!と憤慨する
③サマーに共感して「あるある」を感じる
大体こんな感じ。
白状すると私は①でした。映画館で観たときも涙が止まらなかったし、ソフト化したらすぐに購入したのに、いまだに観るのに勇気が必要なくらい。
②の人も③の人も、生々しさや痛々しさに感情を刺激されてる点では同じかもしれません。
それから、この映画に何らかの【正解】を見出す人たちもいます。
「女ってこういう生き物なんだよな~」「男っていつもそうだよね~」。
「片想いはこうしなきゃ」「その付き合い方じゃセフレ」「あそこでアレさえしなければ…」。
実際、パズルのようなバラバラの時系列で見せられるシーンには因果関係のヒントのようなものも見え隠れしています。
でも、毎回グサグサ心を抉られながら何十回も観た結果、私がたどり着いた答えは少し違う気がします。
それは一言でいえば、「恋愛両成敗」。
惚れた方が負け、とはよく言いますが、実際トムには情けないところがたくさんあって、気持ちは分かるだけに見ていてしんどいったらない。
一回り以上は年下の妹に度々恋愛相談しては、辛辣なことばかり言われてます。
「かわいい女の子とちょっと変わった趣味を共有できたくらいで、ソウルメイトになれるわけじゃないからね」
「彼女しかいないって思ってるんでしょ。でもいいことばかり思い出すんじゃなくて、全部を見つめなおさなきゃ」
たった一言を拡大解釈してどん底に落ちてしまったり、彼氏ぶりたくてナンパ男に殴りかかってしまったり。他の女の子とデートしても「僕を幸せにできるのはサマーしかいない」と泣き言を言い、そのくせ偶然の再会には一旦気づかないふり。
きっと本来はもっとたくさんあるはずのいいところも、恋の生傷だらけで見えなくなってしまっています。
では一方のサマーはどうかというと、とにかく「正直であること」が彼女のキーワード。
「ボーイフレンドは要らない」ときっぱり宣言しているものの、彼女のトムに対する扱いは決して単なる友人やセフレではありません。一緒に映画館や美術館や公園やレコードショップに行き、IKEAでは夫婦ごっこに興じ、他の男性とデートもしない。
紛れもなく恋愛のカンケイなのはわかっているけど、コミットする気になれないだけ。
これじゃ「嘘はついていない」だけで、「誠実」と言うのも難しいような感じがします。
そこでサマーを小悪魔だとかビッチだとか言うのは簡単。でも、やっぱり彼女はトムを弄んでいるわけでも利用してるわけでもない。
分からないことははっきり言えない、だけど私のそばにいてほしい。
そのずるさこそが彼女のトムに対するゼロじゃない気持ち、あいまいな恋心なのがよくわかります。
恋は誰が落とすか、誰が我慢するか、誰が丸めこむか、誰が相手を強く想っているか……っていうシンプルなルールのゲームじゃない。
二人の人間がいてどちらかだけが完全に正しくふるまえるわけがない。
自分なりに相手にぶつかって、良い思い出も失敗も積み重ねて、どう転ぶかなんて誰にも分らない。
善悪も正誤も超えて、それでも人を好きになる人間のエゴって、本当にとてもかわいいなぁと思うのです。
さて、冒頭で「これはボーイ・ミーツ・ガールの物語である」と話していたナレーションは声こそ知らない紳士のもので、クラシック映画への目配せを感じる妙に重厚なものなんですが、劇中二度三度と登場するうちに内容的にもタイミング的にも他でもないトムの内なる声だってことがわかってきます。
物語は語り手がどう語るかは勿論自由であると同時に、読み手がどう受け取るかも自由なはずなので、一言だけ言っておこうかな。
トムくん、私はやっぱり、これはラブストーリーでもあると思うよ。
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