「戦争放棄!」を掲げてきた女性たちが
自分の身を守るには

 だいたいこれは女性にとっても他人事じゃない。
誰だってあたりまえに持っている心の弱い部分、一つや二つをえぐるように掘り下げて、ほら、あなたにはこんなに弱いところがあると露呈させ、足元をぐらつかせた上で自分に都合のいい価値観を押し付ける。
そんな悪質なやり方で相手を支配し、気持ちよくなったり、暴利を貪ったりする人間が沢山いる。

 前回、集団の中で一番無邪気でいられる女性が最強という話を書いたけれど、この無邪気さというのは一方で非常に厄介な武器だ
というのも相手がこと男性となると、鋭い刃物としての切れ味を途端に失ってしまう。むしろ私は丸腰、戦う前から完全降伏ですよっていう戦闘力のなさをアピールする材料になってしまうのである。

 でもそれは間違いではなくて、対男性という局面では、隙があったり、ゆるかったり、ちょっとバカだったり、相手に舐められる能力をフル活用して懐に入り込む方が、むやみに刀を振り上げたり、馬乗りになってボコボコ殴るより、より正しいスタンスとされてきたのだ。
つまり日本の女性達は男性に対し、長きにわたって「戦争放棄!」という憲法9条を独自に掲げてきたとも言える。

 女性側の思惑通り「丸腰だから戦争を仕掛けないであげよう」あるいは「丸腰だから守ってあげよう」と思うおめでたい同盟国が現れる一方で「応戦してこないんだから侵略しよう」と思う悪い輩も当然ながら現れる。
そこできちんと同盟国が身を呈して守ってくれればいいわけだけど、昨今の日本の現状を見るにつけ、最初は無邪気に見返りを求めず守ってくれてた同盟国も、そのうち「なんで俺だけが守ってやらなきゃいけないの?じゃあ俺のことは守ってくれるの?」とか言い出すようになってくるし、そもそも同盟国など持たないおひとりさまとしては、いざというとき、一も二もなく自分で自分の身を守れなければならないのだ。

 目上の人を尊敬しなさい、先生を敬いなさいという幼少期からの刷り込みに疑問を持たずにいると、たちまち影響力を誇示したい人が気持ちよくなるための道具にされてしまうし、下手すれば自分の田んぼを耕していながら、小作人として延々侵略者に地代を納め続ける羽目にもなりかねない。
だからこそ、この人を心の内に招き入れるのか、そうさせないのか、最終的な判断は絶対に手放してはならない。「心を開けないのが君の弱さ」と言ってくる人間の言うことには耳を貸さなくていい。慎重さは賢さだ。