美しさプラスαの価値
今回何を書きたかったかというと、ひとえにこの緑の玉事件であって、そこから導かれる気づきというのは正直なところ何もない。ただ、この緑の玉のコンテンツ力をどうにか成仏させたかった。それだけ。でもきっとそれじゃダメなのでもう少し考えを深めなければならない。
結構お高いお店のキャバクラのお姉さんというのは、とにかくびっくりするくらい見目麗しい。陶器のように滑らかな肌、宝石のように大きな瞳、そして小枝のようにまっすぐな足。自分自身に商品としての価値があることを自覚し、美に磨きをかけた女性達の華やかさというのは、素人のそれとは明らかに一線を画している。日中の住宅街やオフィス街では滅多にお目にかかれないような美女たちが、代わる代わる私の隣にやってきては、話に耳を傾けてくれる。男性じゃなくたっていい気分になってしまう。
美しくあるというのは、ただそれだけで十分に価値あることのように思うけれども、その実、キャバクラのお姉さんというのは、先ほどの方のように手からシュウマイを出したり、カードマジックができたり(件のお姉さんは、シュウマイを出したあと続けていくつかのカードマジックも披露してくれたのだ)、そんな、美しさプラスαの価値を身につけている必要があるらしい。予想以上に、しのぎを削る世界なのだと思わされる。