何かに没頭するのは難しい

そんなわけで、不倫騒動前の矢口真里さんがイッチョ噛みと揶揄されているのを見るにつけ、決して他人事とは思えず、人知れず私もまた心を痛めていた次第である。世間に勘ぐられているほど強かな魂胆はない。ただ、いろんなことに、広く、浅く興味があるだけなのだ。

ただちょっと大きな視点で見てみると、私のように、どこの売り場にも属する意識が持てず、顧客のペルソナが描けない人、いつだってどこか宙ぶらりんな気持ちでいる人というのは、案外少なくないのではという気もしている。
その証拠に、親たちが我が子に託しがちな夢の一つとして「将来的には何か一つ、真剣に打ち込めることを見つけてほしい」が挙げられる。「何か一つ」の部分で寛大に門戸を広げているようだが、その実、何か一つに打ち込むだけで口うるさい親が納得するほど、何か一つ打ち込めるものと出会うのは、とても難しいことなのだ。

にも関わらず、就活中の若者は20歳をちょっと過ぎた段階で自分が大学時代に打ち込んできたものを尋ねられると聞いて胸のすく思いである。部活やサークル活動に励んだり、世界一周したり、起業してみたり。濃すぎず、薄すぎず、絶妙に大人が染め直す余地を残して、早々に自分を色付けしなくてはならない就活生たち。背伸びをしたらバカにされ、けれどもしなければしないで面接官の気にもとめられない。大人の要求に応えようと努力する若者の姿は素直で、健気で、いじらしい。…かたや30を過ぎてなお自分のことを無色と認識している私のようなおばさんがいるというのにだ。