好きな人に選ばれない…でも「選別されない」世界は平穏なのか?

選ばれる女 Nathan Dumlao

年始め。「今年こそは結婚するぞ!」とマッチングアプリに登録して、意気込んでいる人もいるかもしれない。だけど、「婚活って楽しい!」という声を、未だ聞いたことがない。就活もそうだけど、就職はお金を稼ぐために、結婚は家族やパートナーを得るために、それ自体は決して楽しいものではないが必要だからやるのである。上手いこと相性の良い職場やパートナーに出会えればそこから先は楽しいけれど、出会えるまではただの苦行だ。

「選ばれる人間がいる」ということは、「選ばれない人間がいる」ということと裏表一体である。もちろん、婚活市場や就活市場において選ばれなかったからといって、その人の価値が低いとか、魅力がないなんてことはない。実際、私は就活市場において選ばれることがほぼなかったけど、紆余曲折を経て今は好きな仕事と愉快な仲間たちに恵まれ、それなりに稼いでいる。しかしわかってはいても、やっぱり「選ばれる」と「選ばれない」の間にある差は、ある種の絶望をもたらすものだ。

「楽に男を手に入れられる娘と、なかなか男を手に入れられない娘とのあいだに残酷な差別があったのです。それを忘れましたか? 彼女たちの一部は絶望的になり、絶食して痩せたり、胸にシリコンをいっぱい注入したり、鼻を削り取ろうとしました。その人間の惨めさ考えてごらんなさい」

2020年最初に読んでいきたいのは、こんなセリフが出てくるマーガレット・アトウッドの『侍女の物語』である。

「私の何がいけないの?」で悩まない未来社会

『侍女の物語』の舞台は、環境汚染が進み女性の不妊率が上昇、出生率が大幅に低下した未来社会だ。かつてアメリカと呼ばれていた国は、ここではギレアデ共和国と名前を変え、キリスト教原理主義者が統治する国家となっている。
ギレアデ共和国において、妊娠できる身体能力のある女性は、〈赤いセンター〉と呼ばれる教育施設に送り込まれる。そこで徹底的に洗脳されたあと、支配階級の男性の子供を孕む「侍女」として、派遣された各家庭に仕えるのだ。

この世界で、女性たちは「選別」されない。妊娠可能な体かどうかだけで振り分けられ、年齢だとか、目が二重だとか一重だとか、性格がポジティブだとかネガティブだとか、経済的・精神的に自立できているだとかいないだとか……そんな指標は一切持ち込まれない。「私の何がだめなんだろう? 何が原因なんだろう?」と疑心暗鬼になって悩み、眠れない夜を過ごすことはない。さらに派遣された家庭で出産したあとも、パートナーが浮気して家を飛び出したり、暴力を振るわれたり、仕事と育児を両立するために悩むことがない。女性たちは保護され、衣食住を必ず保障してもらえる。そう聞くと、ギレアデ共和国が少し魅力的に思えたりしないだろうか?

ギレアデ共和国の支配階級である「司令官」と呼ばれる男性はささやく。女性にとって、こんなに安全で安心できる社会はない。抵抗しようとする主人公・ジューンに、こんなに恵まれているのに、こんなに幸せなのに、何が不満なんだ? と問うのだ。