生きる上で、「幸せになる」よりも大切なこと──ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引書』

掃除婦のための手引書 by Larm Rmah

2015年、私がまだ28歳だったときのことだ。「いい恋愛ができるか、いい結婚ができるかって、本人の努力とか魅力よりも、運によるところが大きいと思うんだよね」と友人に話したら、こいつはいったい何を言っているんだという感じで、ちょっとポカンとされてしまった。でもなんとなく、2019年の今なら、「うん、そうだ」と頷いてもらえそうな気がする。それくらい私たちは大人になったし、時代も変わった。

大好きな人に愛されて、その結婚を家族からも友人からも祝福してもらえる。それは決して誰でもできることではなくて、いくつかの条件が揃っていないと実現できない。本人のセクシュアリティ、思想、本人やその家族の病気や障害の有無。持っている人には空気のように当たり前のものでも、持っていない人にとっては高い障壁となっているいくつものハードルを乗り越えて、それは初めて実現できるものなのだ。

人生で、「自分が進みたい方向」と「自分と周囲が幸せになれそうな道」が一致している場合は、迷うことはない。だけど、「自分の進みたい方向」がまわりの賛同や祝福を得られそうになかったり、隣の誰かを不幸にしてしまう可能性があったり、茨の道だったりする場合は、いったいどうしたらいいんだろう? 

簡単に回答を示せるわけではないけれど、ルシア・ベルリンの短編集は、考えて努力した上でも意に沿わず、幸せとは言い難い人生になってしまったとき……それをしっかりと見つめる「眼差しの方法」を、教えてくれる。

再発見された作家、ルシア・ベルリン

ルシア・ベルリンは2004年にこの世を去ったが、亡くなって10年以上経った2015年に、短編集『A Manual for Cleaning Women』が出版された。彼女は、ノーベル賞作家のアリス・マンローやレイモンド・カーヴァーに影響を与えながらも、寡作であったため生前その名を知られることはあまりなかったという作家だ。出版された『A Manual for Cleaning Women』はベストセラーとなり、私たちは岸本佐知子さん訳の『掃除婦のための手引書』として、この短編集を手に取ることができる。

1936年に、アラスカに生まれたルシア・ベルリン。アルコール依存症の母や叔父に囲まれて育ち、一度はチリに移住、18歳になる頃にはアメリカに戻った。3回離婚し、4人の息子を抱えるシングルマザーとなって様々な職業を転々としたらしいが、その中のひとつに掃除婦がある。短編『掃除婦のための手引書』は、おそらくこのときの体験がもとになったのだろうと言われている。

「掃除婦が物を盗むのは本当だ。ただし雇い主が神経を尖らせているものは盗らない。余りもののおこぼれをもらう。小さな灰皿に入れてある小銭なんかに、わたしたちは手を出さない」

「盗んだもの……マニキュア、香水、トイレットペーパー。もらったもの……イヤリング片方、ハンガー二十個、破けたブラ。」

主人公(おそらくは著者自身の投影)は、雇い主の家から器用にものを盗むなか、今は亡き夫のことを考える。他の短編も、アルコール依存症の母が家事の合間にひたすら酒のことを考えている話とか、「幸せ」とは程遠い内容のものが多い。

生きていくことは過酷である。ただ、過酷な中にもユーモアはあるし、物事は悲劇と解釈することもできれば、喜劇と解釈することもできる。装飾もない、ドラマチックな展開もない、ルシア・ベルリンはただ淡々と、目に止まった日常を綴っていく。