大切な人にも「それは違うと思うよ」と伝えたい
『82年生まれ、キム・ジヨン』でも、ジヨンを不遇な目に合わせるのは会社の上司や電車の中の痴漢だけではない。ジヨンの父、男友達、同僚、彼氏、そして夫。彼らは基本的には、心を通わすことのできる、ジヨンにとって頼り甲斐のある味方だ。だけどときどき、どうしようもない断絶を感じる。
どうしてわかってくれないんだろうと、ジヨンは1人で涙を流し、そして精神を病んでいく。それが大切な人であっても、信頼している人であっても、私たちと彼らは見ている世界が違うのだ。
女性は今でも、雑誌やウェブメディアが振りまく「愛される女」の像に魅了されがちだ。私だって気持ちはわかる。承認欲求もあるし、好かれたいし、嫌われたくない。だけど、いつまでもただの「愛される女」でいるわけにはいかないだろう。言いにくいことでも、大切な人だからこそ今の状況を理解してほしい。そうしないと、ジヨンのように泣くことになる。私たちの下の世代に不幸が連鎖してしまう。
私たちはそろそろ「愛される女」に憧れるのを卒業しなくてはいけなくて、これからは「きちんと意見を言える女」を目指していくべきなのだろう。
もちろん「愛される女」なんかよりも、たしかにハードルが高い。日頃から趣味や仕事の話をして、互いに信頼を重ねて、言うべきことを言うときは伝え方も考える。そして何より、自分自身が「この人の考えは聞くに値する」と思ってもらえる魅力的な人物でなければならない。こちらの考えがすべて正しいとも限らないから、相手からの批判を受け入れる度量も必要である。
もちろん「そんな余裕ないんだよ!」という切羽詰まった状況にいる女性は、感情的になって不満をぶつけてもいいと思う。ただ私は若干の余裕があるので、最近は親しい男性たちとのコミュニケーションの方法を模索している。
男を責めたいわけではない。私たちの、より良い未来のためにだ。
Text/チェコ好き
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