「そのままのあなたでいい」と、それでも私はいい続けたい

「ありのままの私を好きになってほしい!」婚活などの場面でそう訴えることが甘えのように伝えられる昨今。でも「そのままの自分」の範囲っていったいどこまで?すっぴんパジャマの私と、スーツで仕事に行く自分ってどこからどこまでが「ありのまま」?

「そのままの私」は甘え?

ありのままであることを肯定する女性の画像

 「そのままの私を好きになってくれる人と結ばれたい」「いや、“そのままの私”を受け入れてほしいなんて甘えだ」の対立は、なかなか深いものがある。これについて、かねてより一家言ある私の見解を、今回はちょっと聞いて欲しい。

 ここで争点となるのは「“そのままの私”とは何か?」ということだと思うんだけど……私の仮説は、“そのままの私”の範囲が男性はものすごく狭くて、女性は逆にものすごく広いのではないかということだ。

 どういうことか。たとえば、朝起きたばかりのスッピンでクマがひどくて髪の毛ボサボサの私と、スキンケアしてメイクして髪をコテできちんとワンカールさせた私。多くの男性は前者だけを“そのままの私”だと認識していて、反対に多くの女性は後者も含めて“そのままの私”だと思っている……気がする。
もちろん、男/女という分け方は本質的ではなくて、個人差はものすごくあるけれど。だから、「“そのままの私”を受け入れてほしいなんて甘えだ」というメッセージが有効に働く男性的な人と、逆にその言葉に追い詰められてしまう女性的な人がいる、と私は思っている。

 女性は、「好きな人に受け入れてもらいたい」と思ったとき、まずは外見を磨く。美容院に行ってエステに行って、百貨店に化粧品を買いに行って、肌のお手入れを綿密にやる。他にも、自分を“変える”ことにあまり躊躇がない。
この恋愛に疎い私ですら身に覚えがあって、本来の私は料理がそんなに好きじゃないのだけど、10年前に好きな人から「女の子なのに料理できないの?」といわれたのがショックで一念発起し、以降はけっこう頑張って自炊生活を送っている……という経緯がある。彼のために一生懸命、タルトだって焼いた(件の彼の発言は今思うとポリコレ的に問題があるが、現在は考えが変わっているらしいし、10年前の発言なので見逃してあげてほしい)。

 ここで重要なのは、女性は外見を磨いたり料理を始めたりすることを、決して無理して頑張るのではなく、けっこう楽しみながらやれてしまうということだ。
好きな人のために行動して、結果的に自分に起きる変化を、わりとポジティブに受け入れている。私も、件の彼の発言はどうかと思うけれど、料理ができる人間になれて結果的にはよかったと思っている。
朝起きたばかりのスッピンの私も、きちんとメイクした私も、料理ができない私も、挑戦してタルトを焼いた私も、私が楽しくポジティブでいられるならば、ぜーんぶ“そのままの私”だ。
“そのままの私”の逸脱は、大好きな海外旅行や読書を制限されたり、私の得意な(?)皮肉っぽい物言いを封じられたりするときに起きる。そこを制限してまで他人に受け入れられる努力をしろといわれると、「うるせえ!」と思う。