本音で話せることが重要なの?
ある程度長い人生を生きていると、「ああ、あの時私は傷ついていたんだな」と昔の記憶について、明確にわかる瞬間がある。
例えば、大勢の前に容姿を馬鹿にされて笑われたこととか、仲のいい男友達と2人で飲みに行ったら店員さんに「デートなんですか?」と馴れ馴れしく言われたこととか。私の容姿が人よりも劣っているのも、男女2人が揃えばデートに見えてもおかしくないのも理解しているが、あの時の私は確実に傷ついていた。でも、当時の私はその違和感に気がつくことができなくて、「当然のことなんだから仕方がない」と自分の気持ちを無視しながら、なんとかやり過ごした。
別に今更どうにかする気もないけれど、昔の私に対して、「もっと大切にしてあげればよかったのに」「自分のために怒ることがあってもいいのに」と思う。だって、自分のことを最も大切にしてあげられるのは自分だし。
コロナ禍、ひとりでいる時間が長くなったからなのかなんなのか、こうやって記憶の大海原から昔の私を傷つけていた出来事をほじくり返して、どこにぶつけることもできない怒りを何度も何度も思い出したりしている日々が続いているのだ。
最近、友達と遊んでいたときに気がついたのだが、私は「本音で話せる友達、いないでしょ?」とか「信頼している人っているの?」と聞かれる度にほんの少しだけ傷ついている。
傷つく理由は2つあって、まず1つ目は結構色々な人(特に男友達)から言われるからだ。たぶん口に出さないだけで色々な人から思われているんだろうな。そう考えると、自分という人間の至らなさに苛立ちを覚える。
信用していないように見えるかもしれないけど、私は私なりに周りにいる人のことを信頼しているんですよね。すべて本音で話すことも、弱音を吐くことも、生活を送るなかで頼ることもないとは思うけど、「この人にこの話をしたら解が出るな」というのは割とあるし、根の性格はかなり悪いのでねじ曲がった発言がポロっと出る度に「甘えているな」と思う。
私にとって信頼とは、お互いにどれだけ背中を押し合えるかとか応援できるかとか、そういうことで自分が一切嫉妬をせず、モヤモヤとした気持ちを持たずに済む関係なんだと思っている。好意と重なる部分は大いにあるんですけど。そういう人は、結構いる。
男の人によく言われることから、私が“女性として男性を頼ることがない”ということを示唆しているとも考えられるのだが、これは周りの異性がどうというよりも、自分の女という性別に強く抵抗していきたいからです。私は、家に出たゴキブリも躊躇なく叩き殺すし、家具もササっと組み立てるし、ジャムの瓶も開けられる。握力、両手とも35もある……。酔っぱらって電話することもたぶんないし、用事なくLINEすることも、恋愛相談がてらサシ飲みデートに誘うこともない。でもそれは信用云々以前に、いかにも女らしい仕草を取る自分がとんでもなく嫌で否定したいからなんですよね……はあ、女辞めてえよ。まじで。
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