女としての自分を大切にできない
以前の私は、女でいるのがたまらなく嫌だった。辞められるものなら今すぐにでも辞めたい。でも、男の人になりたいか?という訳でもないし、自分を女性として認識することに違和感はない。自分の性自認が宙に浮いているような感覚がずっとあって、可能であれば性別のない、ただの人間として生きていきたかった。
そう思っていたのだが、人に会わないが故に女扱いをされることなく過ごしたこの数カ月間に、ようやくわかった。私が嫌なのは、女であることそのものではなくて、社会から女性としての振舞いを期待されることと、その期待にまったく応えられない自分に対してだ。
この2つの考え方は似ているようで大きな差があるように思う。つまり、「女性はこうあるべき」といった社会の常識やステレオタイプに反している私に、残念がる人に対して罪悪感を覚え、自分の性別がますます嫌いになっていったように思う。本当は、好きなメイクをしている自分も、派手な服を身に纏う自分も、茶色いお弁当ばかり作る自分も、掃除や洗濯を面倒臭がる自分も、なかなかお風呂に入れない自分も肯定してあげたいのに、「女だから」「男の人はどう思うか」という考え方が差し込まれると、本当は自分の性別なんて大した問題ではないはずなのに、決められた枠のなかにはめられたような気がして、窮屈に感じる。
女であることは私を構成する要素のひとつではあるけれど、それほど重要ではない。性別に対する考え方があまりにも偏っているような気がして、女としての自分を大切にできない瞬間も、本当は嫌だ。
人は自分の経験から予測をし、仮説を立てながら言葉にしたり、行動を取ったりする。だから「男性はこう」「女性ならばこうするだろう」という考え方を取っ払って、まっさらに考えることは難しいと重々承知しているけれど、もう少しだけ性別を意識する機会がなく、自分を嫌いになることもなく、適当な生活をしていければいいのになと思う。
Text/あたそ
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