肯定してあげられる方法を見つけてあげればいい
「女らしさ」「男らしさ」という曖昧な定義は、時間の経過によって、もっと多様なものになっていくと思う。使う相手や場所によって、意味合いも異なるだろうし、これからの世の流れを考えるとなくなってしまってもいい言葉であるように感じることもある。だから、誰がどんな風に「女らしさ」「男らしさ」を思い描いていようが、他人に押し付けることさえしなければいいのではないか、と思うのだ。
「料理のできない自分に、女らしさが足りない気がして嫌気がさす」と言った人は、料理ができることが女らしいと思っているのだろうか。できない自分を嫌いになってしまいそうなら、挑戦してみればいい。人と比べて、自分に劣等感を抱くのであれば、何度だって練習してみればいい。「料理のできる女らしい人」になりたいのなら、そのための努力をすればいいだけだ。
それでもうまくいかなかったり、そこまでの情熱が湧いてこないのであれば、自分を肯定してあげられる、自信を持つことのできる、別の手段や方法を見つけてあげればいい。自分の目指したいように、やりたいようにやればいいのだ。
料理も最低限しかしないし、食器洗いも苦手。掃除も全然できないし、たまにお風呂に入り忘れることもある。そんな私はきっと「女らしい」とは言えないだろうし、そもそも私の思う「女らしい」もわからない。けれど、「こんな人になりたい」という理想や信念は持っている。どうすれば、自分を少しでも好きになれるんだろうか、というのも、長く時間を費やしたがだんだん分かってきた。その目標や理想に少しずつ近づきたい私に「女らしい自分」はまったく必要ない。
家にいると時間ができてスマホをいじり、周囲の人と比べてしまう。その気持ちもわからなくはないけれど、せっかく家に出ずに過ごせているのだし、自分の駄目なところに注目したりせず、人と比べたりもせずに、自分なりの気楽な生活スタイルを見つけながら、より自分を好きになれるような方法を見つけていきたい。外に出られるようになったとき、何をして、どこへ行こう。そんな妄想を膨らませながら、静かに静かに暮らすのだ。
Text/あたそ
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