限られた時間の中で、誰かを犠牲にするなんてできない

もうひとつは、「これは、誰かと共有した方が一人よりもずっと楽しいんじゃないか!?」と思い付いた時。この場合が、なかなか厄介なんじゃないかと最近になってから余計に考えるようになった。

誰かと共有しても楽しいかもしれないことのひとつとして挙げられるのが、旅行だ。
私は大学時代から海外旅行が好きで、社会人になった今でも趣味の一つとして継続している。というか、実はこの原稿もインドの北部・レ―という土地で執筆している。泥まみれの状態でヒッチハイクをしながら移動をしたり、現地人と同じ食事を取りながら会話を楽しんだりするのも好きだ。
でも、仲のいい友達と少し高めのホテルに泊まって、ちょっとロマンチックなバーでカクテルを楽しんで、ああだのこうだの言いながら観光地を巡るのも、きっと同じくらい楽しい。

今年の年末はどこで過ごそうか考えた時、誰か親しい友達と一緒であれば絶対に楽しいだろう、とふと思った。0時ぴったりの花火を見て、初詣をして、お酒を片手に何かしら美味しいご飯を食べる。現地の習慣にならった新年の祝い方をしてもいいかもしれない。最高じゃないか! いい2018年を迎えられそうな気がした。具体的なことは何も考えていなかったけれど、妄想に妄想が進み、勝手に私の気持ちを盛り上げていたのだった。

…と、折角気分が盛り上がっていたのに、誰かを誘うための壁にガンガンぶち当たっていく。さらに困ったことに、社会人になると時間やお金の使い方が人と合わなくなってくる。旅行なんて誘えたもんじゃない。銀行員やサービス業の友人は休みが合わないし、休みのスケジュールが同じ友人は年末年始に合わせてきっと田舎に帰るだろう。あの人は話をする分には面白いけれど、趣味が全く合わない。あの子と一緒に旅行をするのはなんか違う気がするし、あいつはいつも忙しそう……と考えていくと、全然気軽に誘えない。

私がまだ大学生だった頃、「学生時代は時間があってお金がないけれど、社会人になるとお金があっても時間がないよ」と言われたことがある。当時は、「ふーん」くらいの感覚で適当に聞き流していたけれど、その言葉の意味がようやくわかるようになってきた。

社会人になって生活の大部分を働くことに費やさなければならない。自分が自由に使える時間なんて、本当にわずかしかないのかもしれない。その限られた時間の中で、できること・やりたいこと・やらなければならないことは限られてくる。
大人になると、どんどん選択肢も増えていくし、他人に迷惑をかけなければ自分ひとりでなんだってできる。だからこそ、自分が本当にしたいことしかしなくなるし、他の人の価値観も大切にするべきなんだと思う。無理矢理付き合わせてしまうのも悪いし。

と、考えていると、やっぱり「まあ、ひとりでいいか」という結論に至って、私の単独行動に拍車をかけてしまっている気がする。

Text/あたそ

<誰かと買い物って楽しい?ひとりで戦い抜かなきゃいい買い物できないよ>もチェック!
付き合うのも付き合わされるのも、楽しくない…。あなたにとっての買い物は、どんな時間ですか。

※2017年10月24日に「SOLO」で掲載しました