生きていて、健康だからできること

私も相当に面倒臭い性格をしているので、周りの友人もそこそこに面倒臭い。突然、「死にたくなってくる」と、今時メンヘラでも言わないような面倒臭さド直球ワードを言って寄越すので、生に対する偉そうな自論を展開したことがあった。
ここ数年は、普通に同世代の友だちも自殺で死ぬ。なんでだろう? 私に何かできることはなかったんだろうか? 気にかけてあげられていたら、違う選択をしてくれていたんだろうか? 私相手じゃないにしても、なんとかする方法はあったんじゃないか? と思う。でも、きっとそんなに単純なことではないんだろうな。そんなことすらわかってあげられなかったのかもしれない。
人の頭に死がよぎって、本気で考えるようになって、死ぬことしか考えられなくなって、実行に移すまで。その一連の流れは、遠くかけ離れているようで案外近い。他者が入り込む余地なんて、まったくないのかもしれない。誰にも頼れないし、頼ったところで意味がない。死ぬこと以外考えられなくなってくる。だから、あの人もこの人もこの世界からいなくなっちゃったんだろうな。遺書がない人もいるから、実際の気持ちは誰にもわからないんだけど。

まだ、ギリギリ生に執着していたい。なんでそんな風に思うようになったんだろう。病気になるのも、誰かを心配したり心配されたりすることも、どうしようもない希死念慮に憑りつかれることも、言い過ぎてしまって後悔することも、結局生きていて、ある程度精神的な健康が担保できなければできないと気付いたからだと思う。

健康な精神は健康な肉体に宿るというけれど、事実なんだろうな。そう思って、5000円くらいかかる婦人科検診の予約を済ませた。

Text/あたそ