二次創作で本を作る同人活動を、アラフォーからの新たな趣味にできてよかったなと思う理由はいくつかある。その一つが、地方都市に住む専業主婦やパートタイムの主婦と友達になれたり、相互フォロワーになれたりしたことだ。
別にわざわざ同人活動を始めなくてもそういった友達を作ることは心がけ次第で可能だと思うけど、普通に生活しているだけだと私の場合はどうしても、首都圏在住の独身やフルタイムのワーキングマザーを中心に知り合うことになってしまう。おまけに、私のリアルな知り合いは文筆業だったり個人事業主だったりでSNSを半分仕事でやっていることも少なくないため、ツイッターなどで彼女たちのプライベートな愚痴を聞くことはあまりできない。おかげで、「生々しい本当のリアルな心情吐露」みたいなものを、最近はもっぱら同人活動で得た友達やフォロワーの呟きから摂取している。
もちろん実際に私自身がやっているわけではないので想像でしかないけれど、そういった同人繋がりのフォロワーのおかげで、私は家事や育児をメインにやっている女性たちが日々何を考え、どういうことを不満に思っているのか、なんとなく察せるようになってきた。朱野帰子さんの『対岸の家事』も、すっと読むことができたのはそういう背景があるかもしれない。
みんな「自分が持っていないもの」に敏感
『対岸の家事』の主人公である詩穂は、2歳になる娘がいる27歳の専業主婦。持病や介護があるからではなく、仕事と家事の両立ができないからという理由で専業主婦でいる。そんな詩穂は、児童支援センターの親子向け教室に行ったとき、マンションの隣人である礼子に「イマドキ専業主婦なんて」と陰で言われ落ち込んでしまう。
一方の礼子は、2人の子供を育てながらフルタイムで働いているワーキングマザー。側から見るとすべて順調そうだが、実際は礼子以上に過酷な働き方をしている夫に家事や育児を頼ることができず、フルタイムの仕事をしながらほぼワンオペでそれらをこなしている。あるとき、疲労が重なってふと糸が切れたようになり、礼子はマンションの屋上に足を運んでしまう。気づいた詩穂に飛び降りるのを止められたところから、2人の交流が再びスタートするのだ。
『対岸の家事』にはその後も、育休中の父親、痴呆が始まってしまった老女と独身のその娘、子供ができない夫婦などなど、近所のさまざまな人と詩穂の交流を描いていく。詩穂が周囲と積極的に関わることで、属性の異なる人々がゆるやかに繋がっていく。
小説を読んでわかるのは、みんな「自分が持っていないもの」に敏感だということだ。専業主婦は経済力や社会との繋がりに敏感だし、ワーキングマザーは自分の時間に敏感だし、独身は家族や子供に敏感である。それらをすべて手に入れているスーパーワーキングマザーも世の中にいることはいるかもしれないが、たまたま頼れる実家が近くにあったり、たまたま超ホワイト企業で夫婦ともども育休を取りやすかったり、たまたま育てやすい子が生まれただけだったりして、はっきり言って「ガチャに当たった」ようなものだ。努力でガチャに当たることはできない。大半の人はSSRなんて引けないので、どうにか「みんな大変だから少しでも助け合おう」という感じでやっていくしかない。まあ、SNSやメディアでは構造上、SSRを引いた人ばっかり目に入ってしまうんだけど……。
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