嫌なところも欠点も受け入れながら、それでも生きていく

知り合ったタイ人に「ローカルな場所が好きなんだね」と言われ、そういえば私ってタイのメインの観光地に行ったことがないなということに気が付く。例えば、ワット・プラ・ケオ、ワット・ポーとか水上マーケットとか。あまり興味がないのもあるのだが、多分できるだけ日本人に会いたくないからだと思う。これはタイだけではなく、他の国でもそうなのだが、私はいつも日本人の行かなさそうなところ、あまりいないところばかり行く。もう何度も海外旅行をしていて、自分の興味関心が何に向くのか、わかっているというのもありますが……。

最終日に、マンゴーがのったデザートを食べに行ったら店が混んでいて、日本人女性と相席することになった。一言も話をしていないのだが、彼女はおしゃれな恰好をしてサングラスをかけて日焼け対策はバッチリ。更にはデザートと自分を写すための撮影大会を繰り広げる。いや、アイス溶けるやんけ! と思いながら私はその光景を見ていたのだが、片や私は着古したオーバーサイズのTシャツにボロボロのズボン。メイクも髪もそれなりに適当で、この時、初めて私ってなんなんだろう? と思ってしまった。そして、私と全然違う世界に住んでいる人なんだろうなとも思った。

こういうのが嫌で、私はいつも観光地を避けている気がする。日本人らしいばっちりとお洒落な恰好をしながら日焼け対策も並行して、みんなで写真を撮ってインスタにアップして。ルーフトップバーとか夜景の綺麗に見えるところでカクテルを飲んで、お買い物もたくさんしてカフェとか行って。あまりにも久しぶりで忘れていたけれど、「あー、私って学生時代もみんなが好きなものを全然好きじゃなかったし興味もなかったんだよなあ」というのを思い出す。

マダガスカルのバオバブの木の麓でゴー☆ジャスのネタをやり出す人に会ったりとか、「ローカルなところに行きたいから、今回スラム街のツアーに参加するんですよね」と言われたりとか。楽しみ方なんて人それぞれではあることは前提だが、そういうことが心底嫌で、ほかの人と同じ方向を向けなかった頃の自分を思い出して心がざわつく。それは自分のいいところでもあり、欠落している部分でもあるように思うから。自分の欠点を直視できなくて、できるだけ日本人のいるところを避ける。

2022年は、いつも以上に“普通”に悩まされた1年だったように思う。自分の頭のなかにない発想や選択肢に驚かされ、人と違っている自分を許せない瞬間が多くあった。でも、そういう自分も受け入れていくしかないんですよね。他の人が好きなものを好きになれない自分も、楽しめない自分も、普通の部分を持ち合わせていない自分も。

今まで変えられなかった部分は、今後どんなに頑張っても大きく変わることはないと思う。私ってなんでこんなにダメなんだろうとか、こんな風になれたらいいのにとか、考えながら目指すことはできても自分の本質は大きく変わらない。嫌なところも欠点も受け入れながら、それでも生きていかなくちゃ。

成田から東京に戻るバスの中で、なんとなくそんなことを考えていた。今年は自分自身をしっかり見つめながら、やりたいことに挑戦して、鳥と楽しく生活をしていきたい。

Text/あたそ