「あの人は幸せそうだ」or「あの人はたいしたことない」どう思われていたほうが生きやすい?他人からの嫉妬をしのぐ“知恵”

by negar nikkhah

以前『ゴールデンカムイ』を読んでいて、思わず「おもしろ〜い!」と声に出してしまった箇所がある。

『ゴールデンカムイ』は日露戦争帰りの元軍人・杉元佐一とアイヌの少女・アシリパが金塊をめぐる旅に出る物語だが、2人がアイヌの村を訪れる場面で、杉元はアシリパの幼名が「エカシオトンプイ」だったと知らされる。エカシオトンプイ、意味は「祖父の尻の穴」……

私は下ネタに笑ったわけではない。アイヌはこのように、幼い子供をあえて汚い名前で呼んで、病魔が近づかないようにするのだという。オソマ(う◯こ)と呼ばれている子供もいれば、シ・タクタク(糞の塊)と呼ばれている子供もいる。実はインドにも似たような慣習があるらしく、一部の人は現代でも赤ちゃんにあえて偽ぼくろをつけたり、濃いメイクを施したりして、ブサイクにしてしまうのだそうだ。目的はアイヌと同じで、やはり「魔除け」。子供がかわいいと、魔物に連れ去られてしまうと考えるらしい。

というか、この「子供(赤ちゃん)に汚い名前をつける、あえてブサイクにする、汚い格好をさせる」のって、アイヌとインドに限らず、わりと世界中のどこにでもある慣習みたいだ。中東でもヨーロッパでも似たような慣習があったと、本で読んだことがある。世界中にあったということはつまり、気候や地形に関係なく、人々は普遍的に、潜在的に、あるものを恐れているのだろう。あるもの――それは、他人からの「嫉妬」だと、私は思う。

「平成の八つ墓村」とはなんだったのか

話は変わって、最近になってようやく高橋ユキさんの『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』を読んだ。山口連続殺人放火事件を追ったノンフィクションである。「なんだっけそれ?」という人もいるかもしれないので簡単に説明すると、2013年に8世帯12人が住むとある限界集落で、2軒の放火事件と5人の連続殺人があった、「平成の八つ墓村」とも言われるあの事件だ。マスコミを騒がせた張り紙「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」のことを聞けば、思い出す人もいるかもしれない。

犯行動機は、犯人が集落で村八分にされていたことではないか――そんな憶測が飛び交うが、犯人は妄想性障害を抱えており、近隣住民による挑発行為や嫌がらせは犯人による思い込みだったと、一審判決は認定した。しかし著者が調べていくと、確かに犯人による思い込みの部分もあったのだろうが、住民による「ネガティブなうわさ話」自体は、本当に存在していたらしい。

人間関係が濃密な限界集落で、住民同士が互いのうわさ話を娯楽の一つとしていたのは想像に難くない。犯行声明か!? と騒がれたあの張り紙も、実はこの集落で相次いでいた別の不審火を犯人が皮肉ったものだったらしいと、著者は真相に近づいていく。