タトゥーは自分のケツを叩いてくれる相棒みたいなもの/oyumi

タトゥーいれたの、実はちょっとだけ後悔してます

私は25歳くらいのときに人生で初めてタトゥーをいれた。
左鎖骨下にお花を一つ。その翌年には、右腕肘下にツバメをいれた。
「でっかい花を咲かせて高く遠く飛び立てますように」……なんて詩的な意味は別に込めてはいない。まあそれなりに覚悟を決めて、自分なりに納得のする理由をつけてはいれた。

そのくせ最近になって「いれなくてもよかったかもなぁ」なんて後悔する瞬間が、ほんのちょっとだけある。
25歳。あのときは「もう若くない」と自分にいつも言い聞かせていた。あれからたった3年しか経っていないっていうのに、「あの頃の自分は若かったなあ」なんて思う。愚かだ。老いには逆らえないって言うけれど、若さにも逆らえない。

一人で強く生きていくために覚悟を決めていれた

タトゥーをいれようと思った理由だけど、自分はフリーランスでイラストレーター。志してなったというより、もうこれしかなかったし知らないうちになってしまったという感じ。就職なんてしたことがないし、したくたってできるような学歴と経歴と勇気が無い。バイトの求人誌を眺めているだけでどんどん鬱になってしまうほどの社会不適合者だ。
そんなわけで、「2度とバイトも就職もせず、フリーでなんとか生きてみせる」という覚悟のもとタトゥーをいれたのだった。(これが若さ以外のなんだというのだろう)
今にして思えば、こんなのは自分を納得させるための言い訳だったのかもしれない。

数年前、インスタで自分より少し年下の若者たちを眺めるのに私は結構ハマっていた。だいたい96年前後生まれの子達なんだけれど、たった3個くらいしか違わないってのに彼らは私らと全然違っていた。
自分たちの世代と決定的に違うと感じたのが、タトゥーをファッション感覚で身につけていることだった。彼らはワンポイントどころか、両腕だったり両足だったり、脱げば胸元や背中だったりとけっこう大胆な場所にたくさんいれている。
特徴的だなと思ったのは、いれられているタトゥーのデザインの統一性のなさだ。多分一度に何個もいれたんじゃないんだろう。いれたくなったら彫りに行く、気に入った洋服を買う感覚に近いと感じた。
ごちゃごちゃに彫られたタトゥーたちはその人の個性そのもので、個人でやっている雑貨屋や骨董品屋のようなオリジナリティとワクワク感がどことなくあるのだ。それがとてつもなくイカしている。

端的に言って超かっこいい。

3個下の彼らに一瞬で夢中になってしまった。
これまで結構いろんな人に出会ってきたほうだけれど、彼らは自分にとって新人類だった。社会の目は厳しいだろうが、少なくとも私には希望を感じた。未来は案外明るいかも、なんて思わせるくらいのインパクトや、夢と希望が彼らから伝わったのだ。
あんな風になれたらなあ……。

大人が作り上げた現代社会に反抗したいだとか、バイトや就職をせずに生き抜いてみせたいだとか、あれこれそれっぽい理由を見つけて彫ってもらった私だけれど、多分それは照れ隠しだったんだろう。
本当は彼らのようにかっこよくなりたかっただけだったのだ、陰キャの私は。

意外と大変、タトゥーのデザイン選び

タトゥーをいれることを決意するのにはそれなりの時間がかかった。
だって修正はきかないんだもの、デザイン選びに失敗したら大変。死ぬまで付き合うからには、おばさんになってもおばーちゃんになっても似合って愛せるものにしなくちゃ。
長く愛せて年老いた肌にもかっこよく馴染むデザインといえば、やっぱり定番! つまり和彫かオールドスクール。

和彫は「刺青」と聞いてみなさんがイメージするものでほぼ間違いないだろう。オールドスクールっていうのは、アメリカの方での伝統的なスタイルなものだ。
流行りの可愛いデザインやキャラクター物は見た目こそいいけれど、年食ったときに肌に馴染むかってことを考えるとちょっと悩んじゃうな。でも、キュートなおばあちゃんが手の甲にニコちゃんマークをいれてるのは悪くない。渋いおじいちゃんが足首にスポンジボブなんてはいってたら正直素敵かも。

良い感じに年をとって良い感じになっちゃえば、案外なんでも似合っちゃうものなのかもしれない。
デザイン選びはとっても重要だけれど、もし「失敗したかもなあ」と思っても自分を大切にして生きていれば良い思い出になるはずだ。(私は定番のオールドスクールをいれたけど、韓国で流行ってた記号みたいなデザインもいれてある)