人生に行き詰まると小説を書きだす私が『小説のように』から気付かされたこと

by Girl with red hat

自分という人間を34年以上もやってきて、今さら気づいたことがある。どうやら私、人生に行き詰まり始めると、小説を書き出す癖があるらしい。今はまさしくコロナ禍で、旅行には行けず、楽しみにしていた公演も中止になり、世の中の状態も不安定。私の人生が……というか世の中そのものが停滞している状態で、突破口を見出そうにも見出せない。そういうときは、エッセイやコラムを発信する合間に、誰にも読まれなくてもいいので小説を書くことが自分にとっては最大の癒しだな〜と感じる。おそらく、何かの「結論」を出したりポジショントークをする必要がなく、ただただ「質感」とか「情景」みたいなものを書けばそれでいいからだと思う。

そしてやっぱり、自分が書くとなると読むほうの目も変わる。2013年にノーベル文学賞を受賞し、短編小説の女王と呼ばれているアリス・マンローの『小説のように』を最近読み、正直第一印象はパッとしなかったのだけど、3〜4日後に読み直してみたらその展開の上手さに驚いてしまった。

小説はただただ「質感」とか「情景」みたいなものを書けばいいと言ったけど、まあ、それこそがいちばん難しい。そのためには、自分がどのような「質感」や「情景」を美しいと感じるかを、知り尽くす必要があるからだ。そして、素晴らしい小説はそれに気づかせてくれる力があると思う。今回はこの『小説のように』から、私が気に入った短編2作品について語らせてほしい。

一度読んだだけだと素通り、二度読むとじわじわと悲しくなる

10編の短編小説からなる『小説のように』の中で、私がいちばん好きだったのが表題作の短編だ。主人公の音楽教師は、駆け落ちの末に結ばれた夫と、静かに暮らしている。ところが、その夫との生活を、アルコール依存症の子連れの女性に奪われてしまう。自分たち夫婦が暮らしていた家を夫とその恋人の女性のために明け渡すシーンは、描写があまりにもさりげないので、一度読んだだけだと素通りしてしまうけど二度読むとじわじわと悲しくなる。それでも夫と別れたあと、主人公は別のパートナーを得て、日常生活にもどる。しかし今度は、その新しいパートナーとの生活を、元夫の恋人となった女性の子供によってかき乱される……というのが、『小説のように』のあらすじだ。個人的には、この短編の中で描かれる「自分にとっての大切な記憶は他人にとっては取るに足らない記憶だし、その逆もまた然り」という感じがたまらない。この感覚を読ませてくれること、これこそが小説の面白さだよな、と心底思う。

他に気に入った短編は、家に入ってきた逃走中の殺人犯に、嘘をつきながら身を守る『遊離基』。その嘘が本当は何なのかはネタバレになるから書かないが、身を守りながら罪の告白をしてしまう、という展開にぞくっとする。