結局「若い女であること」は得だった?40代半ばになって思うこと

世の中には“若い女は得”というような概念があるし、確かに我が身を振り返ってみれば若い女で得をした」と思っていたことも多々ありました。

例えば、初めてのデートで男性側が食事代を持ってくれたり、普段は割り勘であってもホテル代は払ってくれたり。仕事では、雑誌などのエロ記事――ハプニングバーやアダルト系のイベントへの潜入、アダルトグッズの体験レビューなど――で「女の目線で読者にレポートしてほしい」という企画のライティングを任せてもらえたし、そもそもアダルト系ライターというジャンルに限っては、デビューすること自体が“若い男”に比べてずっと容易だったように思います。もちろん脱ぎ仕事についていうと “若い女”であることは圧倒的なアドバンテージで、趣味と実益を兼ねてSMクラブで働く……なんてことができたのも、“若い女”だったからです。

もちろん“若い女”であるから得られなかった仕事もあったと思うけれど、“エロのモノカキ”である以上、自分が女であること、そして男ではないことは、受け入れざるを得ないことであって、だからわたしはどちらかというと“若い女”であるうちは、それを最大限に利用しようと思っていました。

“若い女”でなくなったときは…

しかし、ひとつ問題があるとすれば、“若い女”の“若い”の価値は、年を追うごとに減っていくことで、当然“若い女”でなくなったときは、どうしようかと先行きを心配する気持ちも、ないわけではなかった。

“若い女”ではなくなったときに、どうやって何を書いて稼いでいくか。そのための方法として最も真っ当なのは、若さや性別など関係のない、専門的な分野の知識を身に着けることだと思ったけれど、困ったことにわたしには、とにかくエロ一本でやっていきたいという気持ちがあった。けれども必ず若さは失われる。どうすれば……と考えたときに思い付いたのが、作家という肩書を身に着けることでした。

もともと小説が書きたかったこともあるし、“作家”になれば、「取ってこれるネタ」よりも「面白い物語を紡げること」が重要視されるわけで、年に関係なく継続できる。もちろんそれはそれで茨の道でもあるのですが、言い換えれば綺麗に整備された道よりも冒険に満ちていて魅力的でもある。というわけで、これまた“若い女”であることを最大限に利用し、“若い女”をヒロインに据えて性をテーマにした小説を書き、無事に“作家”という肩書を手に入れることができたのです。