自分はイケてるぞアピールからは腐臭がただよう…“見るに耐えない”コミュニケーション(1)

 社会学者・宮台真司さんへ「脱いいね!」に関するインタビューを行いました。第一回はFacebookをはじめとするソーシャルメディアの状況について、また日本人のオンラインでの見るに耐えないコミュニケーションのとり方のお話が中心です。
脱いいね! への道のベースとして、ぜひお読みください。あなたも腐臭ただよう「自分イケてるぞアピール」していませんか?

オランダ、アメリカで始まるFacebook離れの原因は
自分の情報がコントロールできなくなるから

宮台真司 脱いいね 格言 名言 インタビュー

――“脱いいね!”のそもそもは、もちろんFacebookの“いいね!”から来ているのですが、そういう“いいね!”だけで承認欲求を満たしてしまったりする人たちは本質的な付き合いができているのだろうかというところから始まった企画です。
まず、そもそもFacebook含めるソーシャルメディアは世界的にどんな状況なのでしょうか?

宮台氏(以下宮台):二年くらい前から、最初はオランダからですが、今はアメリカでもヨーロッパでも、Facebook離れが進んでいます。上場以降に投資家が離れたっていう話とは関係なく、単にFacebookが面倒くさいというだけの話です。

 少し細かくいうと、プライバシーを維持するのが難しい。プライバシー概念は「自己情報制御権」と言い換えられます。
元は「住居不可侵権」から派生しました。要は「自分が見せたくない自分を見せなくてもいい、自分の見せたいところだけ見せていい」権利です。

 特に女の子にとって致命的なのが、写真をタグ付けされてしまうこと。
過去の醜態や、知られたくない男との関係がバレてしまいます。
そういうことがないように自分自身の情報をちゃんと制御しようとすると相当面倒なので、公開範囲を狭めるしかありません。

 結局、公開範囲を昔からの親しい友人に限るか、それだったらFacebookやっている意味がないのでFacebookをやめるか、どちらかという選択肢になってしまいます。実際、僕の周りでもどんどんFacebook離れが進んでいます。

 リーダー/フォロワーという言葉を使えば、リーダー層からFacebook離れが進んでいます。
コミュニケーションが下手くそなフォロワー層とか、あまりセンスのないフォロワー層が、相対的には残っているという状況です。あくまで「相対的には」ですがね。

 その意味で、昨今のFacebookで「いいね!」と言われても、感度のいいユーザーが相対的にいなくなっているので、「承認」とは何の関係もありません。よくいえば「暇つぶしの戯れ」、悪くいえば「馬鹿の気休め」です。

 実際、何の足しにもなりません。
それよりも、あんな希薄な場所で知らない連中に「いいね!」といわれても、普通は嬉しくないはずで、あれが嬉しいっていうことは、毎日よっぽど希薄な関係を生きているという事実を、満天下に知らしめていることになります。

――そうですね。「いいね!」を喜んでいる人はリーダー層ではないということですか?

宮台:リーダー層ではありません。少なくとも、リーダー層は、Facebookをやっていても「いいね!」からは離脱しています。
それどころか、Facebookをやることの意味自体がないんじゃないか、というようなところまで、反省的観察が進んでいるということです。

 何ごともそうですが、最初は新奇性があります。つまり新しくて珍しい感じがある。
だから、感度の高い「新し物好き=アーリーアダプター」たちが飛びつきます。それを見て、フォロワー層がどーっと入ってきた結果、メディアが劣化する。「例の展開」ですね。

 フォロワーが参入することによるメディア劣化と、劣化に嫌気がさしたリーダー層が新メディアに飛びつくという「例の展開」について、僕は「3年周期説」を唱えてきました。
Facebookについては、3年周期説より早い。さっき申し上げた実害が出るからでしょう。