「ひとりが好き」なんて胸張って言えない。私に残された選択肢

「ひとりが好き」と思っていたけれど

ひとりたたずむ女性の画像 John Sting

また音楽の話になってしまい恐縮なのだけれど、金曜日と土曜日に、幕張メッセで開催されたSummer Sonicに行ってきた。今回は20年目、来年は東京オリンピックで1回お休みということもあり、ラインナップも豪華で、特に海外アーティストは私好みのドンピシャで、なんとかチケットを手に入れて見に行くことができた。
やっぱり音楽や大きな音の鳴っている場所が大好きだと改めて実感し、そして人の感情や想像から生み出される何か大きなものに突き動かされているのだな、と思いながらステージを眺めていた。

これで、私のフェスは終わった……と一瞬ノスタルジックな雰囲気になりかけたけれど、違った。私は11月に香港で行われるClockenflapに行くんだった。忘れていた。
以前から海外フェスに行きたいと考えていたし、なかなかに評判のいいClockenflap。メンツも大好きなアーティストばかりだ! ということで、後先考えずにチケットと航空券を確保してしまった。よくよく考えてみればひとり海外野外フェスとはなかなかハードルの高いことをしようとしているんですね。まあ、いつものひとり旅の延長で、「誰かと一緒に行く」という選択肢すら、頭に浮かんでこなかったというのもあるのだけれど。

私は、自分のことを「ひとりが好き」だと思っていた。この言葉の意味を拡大していくと「人を誘うのが面倒くさい」や「比較的楽観的で、そんなに寂しくない」という言葉に行きつく。その、どちらも私の感覚としては正しい。
しかし、最近よく考えているのは、私は周囲の人に合わせる力がない人間なんだな、ということだ。

前述したSummer Sonicでもそうだ。友人と連絡を取り合いながら落ち合い、お互いに見たいアーティストが異なれば別れ……を繰り返していたのだけれど、私の見たいアーティストにはほぼ付き合ってもらっていたのにも関わらず、友人の意見を一切取り入れてなかった。そして、落ち合うときは、目立つ装いでもなかったのに必ず探してもらう。ときには「探すの面倒だし、もう別々でよくない?」などと、今考えれば少々冷たい一言まで言ってしまった。とにかく私のペースにすべて合わせてもらっていた気がする。
まあ、大丈夫だよな……別に……大人だしさ……と思いつつ、もう少し温かな思いやりを持って接するべきだったのかもしれない。考えすぎか? この自分の性格を加味したうえで、人とフェスとか行くの苦手なんだよなーウンウン。