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  • 2016.11.14

夜這い

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夜這いは、大正時代まで(戦後、高度成長期直前まで)
日本にあった習俗であるが、多くの人は
「男が女の寝床をガオーと襲う」図、をイメージするだろう。
でも実は現代の私たちの認識と少し違う一面もある。

まず語源は、「男性が女性に求婚すること=呼びかけること」、
つまり“呼ばう”であると言われる。
これだけだと「夜の営みではなく結婚だったんだ!」と思うかもしれないが、
厳密にいうと、かつての日本は「セックス=結婚」だったのである。

昔の日本の夫婦関係は、男女それぞれ別に住んで、
基本的には夫が妻の元へ通う形態であった。
(一部、女性が通う風習を持つ地域もあったようだが)
そのためここでいう結婚というのは、家族に隠れてこっそりと
夜這いを行うのではなく、親や相手の承認なしに
堂々と通い夜の営みOK!ということも意味した。

またかつての村落(ムラ)においては、一夫一婦制と言う概念も希薄で、
重婚もOKだったし、「村の娘と後家は若衆のもの」という
村落内の娘の共有意識を示す言葉があったとか(!)

かなりフリー過ぎて乱交的な感じはするものの、
その村落ごとに婚姻や夜這いなどのルールがあり、
そのルールには処女(かつては“未通女”ともいったらしい。
この言い方はなんかイヤ)や、人妻の扱いなど細かく設けられていた。

そのルールには従う必要はあったが、夜這い相手の選択や
女性側からの拒絶などは自由であり、祭りともなれば堂の中で
多人数による“ザコネ”が行われ奔放に性行為が行われていた、
という記録さえある。
しかし一方で、なかには相手の合意がない強姦行為もあったという記録も。

ここまで読むと、明らかに強姦の方が多いのでは?と思ってしまうのだが、
習俗の背景には、戦争などで女に比して男の数が少なかったことがある。

夜這いの対象は一般的には、少女は初潮を迎えた13歳、
または陰毛の生えそろった15~16歳からとされる。
(当時の結婚年齢はだいたい15~20歳頃)
その際に儀式として、性交が行われたところもあった。

一方で少年の場合は13~15歳で、
儀式として“フンドシ祝い”が行われる。

このフンドシ祝いとは、この年齢に達した男子は布1反と、
米や餅や酒を女性宅に持参し、その1反の布を女性が
フンドシに仕立てて、男子を裸にし、フンドシの締め方や
使い方を教え伝え、祝いの杯を交わす儀式である。

かつてフンドシは成年に達しない男子の着用は許されず、
成人のみが着用できる下着であったため、
この儀式を終えた男子はフンドシを着用し、
ムラで結婚の資格を有した一人前の男性として扱われた。

また一部の地方では、このフンドシ祝いの祭事は、
子に性技の作法を伝える、性教育の儀式でもあったといわれる。

当初は男子の最初の性行為の相手として、母親が相方となる場合
もあったらしいが、近親相姦を危惧し始めてからは、母方の家系の
姉妹が選ばれた。そしてそれが終われば夜這いを始める・・・。

母親が息子に性を教えるあたりから完全にパニックだが、
このフンドシ祝いは1900年はじめ、つまり今からたった
100年前には実在したというから驚きである。
ちなみにこの様だと当然、赤ん坊が誰の子か解らないと言ったことが
よくあったが、“ムラの一員”としてあまり気にすることなく育てられたとか。
・・・今だと大問題ですけどね。

さて、しかしながらこの夜這いの習俗も衰退していく。

その背景には諸説あるが、ひとつは政府が夜這いを禁止して
性風俗産業に目を向けさせ、税収を確保しようとする“政府の意図”
があったという説がある。

もうひとつは、日本が西欧列強をモデルとする近代国家としての
体裁を整えていく中で、一夫多妻制を彷彿とさせる上流階級の
妾(めかけ)の存在が否定されるようになり、庶民階級の
“夜這いや婚外性交の風習”も、社会秩序を乱す野蛮な行為
として退けられるようになったという説である。
 
また同時に唯一、側室制度を持ち一夫多妻制を継続していた
天皇家も、非文明的な一夫多妻制(側室制度)を廃止すべしと
する昭和天皇の判断によって、一夫一婦制を採用するように
なったことも背景のひとつにある。

そしてこの夜這いを禁止する法律が新潟で発足されたのは
なんと明治9年。今からたった140年ほど前の話である。

そして昭和40年代頃は、男女関係も変化してくる。
今までムラとして容認されていた婚外の性交は不倫とされ、
学校や社会も若年層の自由恋愛は承認せず、“不純異性交遊”
という言葉が使われ始めた。それを証明するのが、当時の
生徒手帳には禁止事項として“自由な恋愛関係”が記載されていたとか。
それも今から約50年ほど前のことである。

さて、ここまで述べたことは私が調べたことであり、
どこからどこまでが100%事実かどうかは分からないけれど、
夜這いがいいとか悪いとかではなく、150年前までは自由な
セックスライフが容認され、50年前には自由なセックスライフは
不倫で不純なものになったというのは事実であり、
たった100年でこんなに性に関する認識が変わっていった
というのは驚きである。

そして日本の民族というのはかつて西洋文化が入ってくるまでは、
ある意味性に対して奔放な民族であり、私たちが今や非常識と
思っている夜這いや近親相姦は、私たちのひーおじいちゃんや
ひーおばあちゃんの時代には常識としてあったという、
そんな自分たちのツールは知っておきたいと思う。

これらを“おおらか”と思うのか、“不純”ととるのかは個々人次第
だけど、日本の歴史上にこういった事実があったこと、
思想というのは進化や発展ではなく、強いものに巻かれて
あっという間に変化するものだ、ということを忘れないようにしたい。

※参照:
・赤松啓介『夜這いの民俗学』
・wikipedia

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ライタープロフィール

中野愛子
中野愛子

1979年兵庫県西宮市生まれ。立命館大学政策科学部卒業。専攻は野生動物の保全で動物(人間を含む)に強い興味を持つ。学生時代から合コンが日課で参加回数は計400回以上、お見合いや婚活パーティ、婚活サイトでの婚活も行う。サッカー選手、議員、某大手アパレルの御曹司らとの恋愛経験あり。大手人材会社で新サイトの立ち上げ、編集、プロモーションに従事するかたわら、「愛は世界を救う」というモットーのもと「モテ男塾」「恋愛力は仕事力」など恋愛に関する活動・イベントを多数開催している。趣味は、「恋愛!」と自信を持って言える婚活中の猛禽類女子代表。アラサー女子10人がつぶやく恋愛リアルネタを披露するTwitter@takadajyunjikoにも参加中。