夜這い

20130813-00002604-entabe-000-1-view

夜這いは、大正時代まで(戦後、高度成長期直前まで)
日本にあった習俗であるが、多くの人は
「男が女の寝床をガオーと襲う」図、をイメージするだろう。でも実は現代の私たちの認識と少し違う一面もある。
まず語源は、「男性が女性に求婚すること=呼びかけること」、
つまり“呼ばう”であると言われる。これだけだと「夜の営みではなく結婚だったんだ!」と思うかもしれないが、厳密にいうと、かつての日本は「セックス=結婚」だったのである。
昔の日本の夫婦関係は、男女それぞれ別に住んで、
基本的には夫が妻の元へ通う形態であった。(一部、女性が通う風習を持つ地域もあったようだが)そのためここでいう結婚というのは、家族に隠れてこっそりと
夜這いを行うのではなく、親や相手の承認なしに
堂々と通い夜の営みOK!ということも意味した。
またかつての村落(ムラ)においては、一夫一婦制と言う概念も希薄で、重婚もOKだったし、「村の娘と後家は若衆のもの」という村落内の娘の共有意識を示す言葉があったとか(!)
かなりフリー過ぎて乱交的な感じはするものの、
その村落ごとに婚姻や夜這いなどのルールがあり、そのルールには処女(かつては“未通女”ともいったらしい。
この言い方はなんかイヤ)や、人妻の扱いなど細かく設けられていた。
そのルールには従う必要はあったが、夜這い相手の選択や
女性側からの拒絶などは自由であり、祭りともなれば堂の中で
多人数による“ザコネ”が行われ奔放に性行為が行われていた、という記録さえある。しかし一方で、なかには相手の合意がない強姦行為もあったという記録も。
ここまで読むと、明らかに強姦の方が多いのでは?と思ってしまうのだが、習俗の背景には、戦争などで女に比して男の数が少なかったことがある。
夜這いの対象は一般的には、少女は初潮を迎えた13歳、
または陰毛の生えそろった15~16歳からとされる。(当時の結婚年齢はだいたい15~20歳頃)その際に儀式として、性交が行われたところもあった。
一方で少年の場合は13~15歳で、
儀式として“フンドシ祝い”が行われる。

このフンドシ祝いとは、この年齢に達した男子は布1反と、
米や餅や酒を女性宅に持参し、その1反の布を女性が
フンドシに仕立てて、男子を裸にし、フンドシの締め方や
使い方を教え伝え、祝いの杯を交わす儀式である。
かつてフンドシは成年に達しない男子の着用は許されず、
成人のみが着用できる下着であったため、この儀式を終えた男子はフンドシを着用し、
ムラで結婚の資格を有した一人前の男性として扱われた。
また一部の地方では、このフンドシ祝いの祭事は、
子に性技の作法を伝える、性教育の儀式でもあったといわれる。
当初は男子の最初の性行為の相手として、母親が相方となる場合
もあったらしいが、近親相姦を危惧し始めてからは、母方の家系の
姉妹が選ばれた。そしてそれが終われば夜這いを始める・・・。
母親が息子に性を教えるあたりから完全にパニックだが、
このフンドシ祝いは1900年はじめ、つまり今からたった
100年前には実在したというから驚きである。
ちなみにこの様だと当然、赤ん坊が誰の子か解らないと言ったことが
よくあったが、“ムラの一員”としてあまり気にすることなく育てられたとか。・・・今だと大問題ですけどね。

さて、しかしながらこの夜這いの習俗も衰退していく。
その背景には諸説あるが、ひとつは政府が夜這いを禁止して
性風俗産業に目を向けさせ、税収を確保しようとする“政府の意図”
があったという説がある。
もうひとつは、日本が西欧列強をモデルとする近代国家としての
体裁を整えていく中で、一夫多妻制を彷彿とさせる上流階級の
妾(めかけ)の存在が否定されるようになり、庶民階級の
“夜這いや婚外性交の風習”も、社会秩序を乱す野蛮な行為
として退けられるようになったという説である。また同時に唯一、側室制度を持ち一夫多妻制を継続していた
天皇家も、非文明的な一夫多妻制(側室制度)を廃止すべしと
する昭和天皇の判断によって、一夫一婦制を採用するように
なったことも背景のひとつにある。
そしてこの夜這いを禁止する法律が新潟で発足されたのは
なんと明治9年。今からたった140年ほど前の話である。
そして昭和40年代頃は、男女関係も変化してくる。今までムラとして容認されていた婚外の性交は不倫とされ、学校や社会も若年層の自由恋愛は承認せず、“不純異性交遊”
という言葉が使われ始めた。それを証明するのが、当時の
生徒手帳には禁止事項として“自由な恋愛関係”が記載されていたとか。それも今から約50年ほど前のことである。

さて、ここまで述べたことは私が調べたことであり、
どこからどこまでが100%事実かどうかは分からないけれど、
夜這いがいいとか悪いとかではなく、150年前までは自由な
セックスライフが容認され、50年前には自由なセックスライフは
不倫で不純なものになったというのは事実であり、たった100年でこんなに性に関する認識が変わっていった
というのは驚きである。
そして日本の民族というのはかつて西洋文化が入ってくるまでは、
ある意味性に対して奔放な民族であり、私たちが今や非常識と
思っている夜這いや近親相姦は、私たちのひーおじいちゃんや
ひーおばあちゃんの時代には常識としてあったという、そんな自分たちのツールは知っておきたいと思う。
これらを“おおらか”と思うのか、“不純”ととるのかは個々人次第
だけど、日本の歴史上にこういった事実があったこと、思想というのは進化や発展ではなく、強いものに巻かれて
あっという間に変化するものだ、ということを忘れないようにしたい。
※参照:・赤松啓介『夜這いの民俗学』・wikipedia