認めてもらいたいという鬱屈ゆえに、ネットで噴き上がる姿が“浅ましく”見える

──教室問題というと?

宮台:ほぼ全科目を同じ教室で受ける日本のような固定クラス制度は、先進国の多くにはありません。ホームルームクラスがあるだけで、生徒ごとに選択した科目の教室に分散して移動します。算数なら算数を、どの先生の教室で学ぶのかを選べるところも珍しくありません。

日本の固定クラス制の下では、30人なら30人の中で、固定した勉強ランクや運動神経ランクや軽妙さランクに拘束され、学齢期から〈表出の困難〉と〈尊厳の困難〉を意識して分相応に振る舞いがちです。この〈心の習慣〉がもたらす鬱屈ゆえに、ネットが解放区になります。

〈表出の困難〉と〈尊厳の困難〉を抱えているがゆえに、つまり認めてもらいたい自分を認めてもらっていないという鬱屈ゆえに、ネットで噴き上がる。その営みが、実に「浅ましく」見えてしまうんです。だから一部の感度のいい連中が「これはまずい」と思うわけです。

──それは、現実の姿を隠してSNS上で困難をカバーした姿を演じてしまっているのが分かってしまうということですか?

宮台:そう。Facebookは匿名じゃないから、実際、知り合いとかが見て「何? このクソアピール、ぷっ!」と噴き出しちゃうわけです。2ちゃんねるも匿名じゃなかったら、多くの書き込みユーザーが確実にそういう扱いの対象になります。かわいそうだと思いますが。

実際、教え子のFacebookとか見ていると、噴いてしまうことがあります。お前何様だよという(笑)。知り合いの男子や女子も、イケているように見える100枚に1枚の「奇跡の写真」を載せて思いっきりアピールしていたり(笑)。逆効果なのが分からないんです

そういうことを自分でまったく痛々しいと思わないのだとしたら、手の施しようがないと思います。まぁ、たいていの場合、少しは痛いなと自分で気づいていても、やむにやまれない〈承認欲求〉があるということだと思いますが、そうだとしても、見ていて辛い感じです

【続く】
次回は、「濃密な対面関係を妨げる疑心暗鬼のコミュニケーション」をお届けします。