自己評価を守るために悪口を言うブスになってませんか
- 苫米地
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で、ブスはほかの人がブスではないと嫌なのね。それはなぜかというと自己能力の自己評価が低いから。ほかの人の自己評価が高いと、居心地が悪いのね。それをコンフォートゾーンってコーチングの用語ではいうのね。コンフォートゾーンっていうのは、自分と同じ自己評価のたちと一緒にいると心地よいというもの。だめな人はだめな人で集まるわけね。
自己能力の自己評価が高い人は、高い人で集まっている。だから、ブスは悪口とか言うんだよ。テレビで、タレントが結婚したりすると、会ったことないタレントに、あの人あんななのによく結婚できたわね、とかいう人がブスです。それは、人の悪口をいうことによって、自分のレベルまで相手を引きずりおろすためです。実際には会ったこともないテレビの向こう側の人なんか引きずりおろされてないけど、そういうことすることで、そういう気分になるから、自分のコンフォートゾーンは維持されたように感じる。だれかがレベルが高くなると自分の居心地が悪くなるのね。これが自己評価の低い人がやることね。
自己評価の高い人はすでに自己評価が高いから、ほかの人が成功すると、よかったねって。自分のように喜べる。自分以外が成功するとねたんだり、ひがんだりするような人は2ちゃんねるとか行くといっぱい見れるよ。
- AM
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わが身を振り返るとそうかもしれません。
- 苫米地
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ツイッターにも最近増えてるよ。そういう人たちが自己評価の低い人。それをブスっていう。そういう人は社会に迷惑。近代的な社会はそういう人たちの影響が大きくなるから。なんでかというと、自己評価の低い人がグループにひとりでもいると、全体の生産性が下がる。特に、近代的な職業はすべてそう。典型的にいうと、ソフトウェア産業がそうで、たとえば今のOSだったら、コードが400万行くらいあるのね、行数でね。400万行を数えるだけで、半端な量じゃないでしょ。その中に、たった一文字の間違いがあっただけで、400万行全部がアウト。そういうことでしょ。400万行を何千人かで作るじゃない、最低でも何十人で作るわけでしょ。その中にひとりでもだめなやつがいたら全員アウトです。
- AM
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みんなの努力が水の泡ですね…。
- 苫米地
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うん。昔の職業はそうじゃなくて、ひとりだめでも、そこだけたまたまだめだったりとか、平均がよければなんとかなったりしていた。でも今の近代的な職業は、ひとりあたりの責任が大きいのね。情報空間に移動してるから。そりゃそうだよね。webサイトで、一生懸命作って、見てみたら、なぜかページが表示されなかったらアウトでしょ。そういう致命的なものが、表に出るものと出ないものがあるだけで、やっぱりすべてのものは、ひとりあたりの責任が大きくなってきているんだよ。社会そのものの構造がそういう風に変わってきてる。だから、ブスは社会に迷惑なんだよ。あと、誰かばかなこといっただけで、ツイッター何なりで広がったりするじゃない。たとえばアホな政治家が一言いうと、日本が危機に陥る。それは迷惑。だから、ブスは迷惑。