どんな美人も100年たてば灰になる

苫米地英人インタビュー
AM

それでもどうしても、外見の美醜が気になってしまう人はどうしたらいいでしょうか。

苫米地

外見に関しては、何がブスで何が美人とかないんだから。今時テレビにでてるやつは俺にとっては全部ブスに見えるぞ(笑)。なぜかというと、年代が違うから。俺の時代のブスと全然違うよ。ほとんどテレビ見ないからさ、毎日見てる人は徐々になれちゃってるから。俺みたいに見ていないと、なんでこんなブスがテレビ出てるんだろうって。

AM

(笑)

苫米地

だけど、平安時代の美人はみんなブスに見られるでしょ。それだから、時代で変わるし、今の自分がブスだと思っている人はお前が悪い、それで終わりじゃん。私は未来の美人よ、で終わりじゃん。外見にもひとつの基準はないんです。どっちにしても、外見はすぐ見慣れるから美人でもブスでも関係ない。最初のうちだけだよ。あの子が美人でいいとか、ブスでいいとか。それが夫婦になったら関係ないでしょ。彼氏彼女になったら関係ないでしょ。大体顔見てないし、お互い。どういう風に自分が評価するかってこと。自己評価が大切。だから、鏡みて、私は美人だなって思えばいいんです。

AM

そうすれば美人の友人がいたとしても自分をブスだと感じなくなるのですか?

苫米地

他人と比べるからよくない。鏡を見て、世界で一番美人はだあれ? と聞くからいけない。聞く必要ない、「私だ」でいいわけ。見た目は人によって好み違うし。ヘアメイクとか仕事でよく会うけど、画家みたいだぜ。キャンバスに絵描いているみたい。プロのヘアメイクに頼めば、誰だってああいう人たちになれるよ。テレビで会う人にたまにすっぴんで会うと、誰だかわかんない。

AM

外見でも補填できる部分があるのですね。

苫米地

外見は化粧すればおわり。まず、外見でブスか否かということにいっていることが大間違いで、問題は本質的であるかどうかでしょ。

AM

そうですね。

苫米地

外見は見慣れてしまうから、どうせ関係ない…。どんな美人だって、100年たったら、灰だぜ。仏教では、女の子みたら、坊さんは、その人が年老いていって最後にはガイコツになって、うじに食われていく姿を思い浮かべなさい、っていうのね。それは煩悩を消すためね。これは坊さんじゃなくても、みんなやればいいこと。最後は火葬場で焼かれていく姿を思い浮かべればいい。ほんの数十年後だよ。その前に70、80になったらみんなおんなじ。だから、何の関係もないって。
自己評価は一度下げちゃうと、ほかの人がどんどんねたましく思える。一度おちてしまうと、抜けられないスパイラルにはまっていく。それは“最悪のブス”だね。

AM

それに気づいて、自己評価さえあげればいいのですね。