素敵ビッチな連載を6年続けて思ったこと
‟素敵ビッチのたのしい性活”という連載が2013年に始まり、6年。気がつけば書いた記事は300本を越えました。一生使える騎乗位のやり方や、セフレの探し方、素敵ビッチ的な生活に至った理由などを書いたセックス徒然草のつもりです。そもそも‟素敵ビッチ”という言葉は、ラブライフアドバイザーのOliviAさんが生み出した言葉で、不特定多数とセックスしまくる女性という意味ではなく、‟自らの性の欲望に素直で我が道を行く女性”という意味です。確かに私の生き方そのものなので有難くタイトルに使わせてもらっています。
この連載が始まった頃は、私と同じように明るく楽しく自由気ままに性生活を楽しんでいる女性が私の記事を読むことで、一緒にセックスの話をしているような気分になってくれたら嬉しいなという気持ちでした。
ところが、読んでくれている人が増えてきたのかなと感じ始めた頃に気付いたのが、読者は欲望に素直で我が道を行く素敵ビッチタイプばかりではないということです。セフレから彼女になれないと嘆く人、自分の容姿やセックスに自信がなくて誰かに欲情されることで女性としての自信をつけようとしている人、お気に入りのセフレを繋ぎ留めるために必死に頑張っている人、パートナーに特別な人だと思われるためにイキたい人、誰かを喜ばせるために潮を吹きたい人もたくさんいるということを初めて知りました。
それと同時に、セックスを純粋に楽しむことができない人が実は多いんじゃないかと気付きました。それからは「セックスはもっと自分のために楽しんで欲しい」「パートナーや周りの人からの評価を気にしないで」というメッセージを一つ一つの記事に込めて書いてきたつもりです。
他人の評価にビクビクする世の中で
自分のためにセックスを楽しむことも、他人からの評価を気にしないということも、そんなに簡単なことじゃないということもわかってます。そもそもセックスは常に相手がいます。周りには知られたくないことをSNSで暴露されてしまう可能性もあります。そしてインターネットを開いてセックス関連の言葉を打ち込めば「あなたの〇〇、実は彼はこう思っていた!」「彼に喜ばれる〇〇」「こうすれば引かれない」というような、自分がどう楽しむかというよりも相手からの評価を得るためのセックスに偏った記事ばかりが目立ち、結局は男性のためにセックスするように植え付けられているような気がしています。
常に他人からの評価にビクビクしなければならないと思わせられるこの世の中で、セックスパートナーに腹を割って自分が本当に求めていることを伝えたり、友人やSNSのフォロワーなどの目を気にせず性的好奇心に従って性生活を楽しんだりすることは、強い人でないとできないと思われがちですが、そんなことはありません。
私だって決して強いタイプではないです。初めてセックスをした十代の頃は「色んな人とセックスしたいけど女の子達に嫌われたくない」「下手だと思われたくないけど上手いと引かれるかも」「脱いだらデブだったってバラされたくない」などと常に心配していたし、今でも慕っている人にセックスしてもらえなくなったと嘆くこともたまにはあるし、誰かの顔や体と比べて「こんなんじゃセックスしたい相手に喜んでもらえない」と自己卑下することも時々はあります。
それでもすぐに起き上がり「凹みすぎワロタ。さー次のセックスは何をしようかな。その前にとりあえずオナニーでもしよ♡」とワクワクできるのは、【私がセックスするのは誰のためでもなくて私自身のため】だということは絶対に変わらないものとして心の中にあるからだと思います。
思い切り振りきったセックスをした
そういうマインドが自分の中で定着したのにはあるきっかけがありました。
それまでのセックスは、頭の中で常に女性として相手を欲情させることができているか、他の子のセックスより劣っていないかといういことばかり考えていました。今思えばそれは本当の私のセックスではなくて、教科書通りにエッチな振る舞いをするセックスでした。
それでも楽しかったけど、頭の中は緊張状態が続いて当然セックスでイケることもなかったです。でもある時新しくできた10歳年上のセフレに「〇〇ちゃん(私)はどうしたいの?教えて」とセックス中に問われ、『どうしたい?私はあなたがギンギンに勃起して思いっきり射精してくれたらいいんですけど…』と困惑しました。私がしたいことなんて考えたことがなかったからです。
でもあまりにしつこく聞かれるもんだから『うるさいなー。そんなにしつこいなら今からバイブとしてちんこ使っちゃうよ!すごいブサイクな顔になって変な動きしてしまってちんこ萎えても知らんぞ!』と思い切り振りきってみると、それまでのセックスの中で一番気持ちよくなれたんですよね。しかも明らかに相手がそれを喜んでくれているのが分かりました。
今までのセックスでは、私はセックスしていたようでセックスにちゃんと参加していなくて、サービスしていただけなのかもしれない。しかもそれが相手にも伝わっていたのかもしれないと思いました。相手のためだけじゃなく自分のためにセックスするという気持ちで参加することが相手の喜びにも繋がると分かってからは、自分のためにセックスするということを大事にしています。
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