港区にはアイデンティティを霞ませる魔力がひそんでいる/マドカ・ジャスミンのチン道中

「港区女子」は数十年前から存在している

ピンクのニットを着て腕を組みながらこちらを見つめるマドカ・ジャスミンさん

 いつ来ても、ここはタクシーの往来が激しい。一か月以上、足を運んでいなかった西麻布の交差点に降り立って、真っ先にそう思った。ほぼ毎日、渋谷や六本木から西麻布行きのタクシーへ乗り込んでいた頃に懐かしさを覚える。昼間は閑散としているこの土地は、夜にもなればあっという間に大人の遊戯場へと様変わりするのだ。道行く男女はどこかギラついていて、装備しているアイテムも誰もが羨むハイブランド。どこのレストランも高単価で、バーではシャンパンの開く音が響くなんて当たり前のことだ。自分にパートナーが出来たことやダイエットでお酒が飲めなくなったことが重なって、いわゆる“ギャラ飲み”に行くことが無くなった今、それらの“西麻布の日常”は何だか気狂いしているように感じた。


 相手からの気遣いとして得るタクシー代ならまだしも、行くだけで、ただ座っているだけでお金が発生するなんて考えてみればおかしな話だ。勿論、感謝の意をお金として返すことは否定すべきでないし、もっと言えばビジネスの根幹もそれとしか言えない。けれど、その意識も無く、自分がその場に存在しているだけでお金が発生しているように思っているのであれば話は別だ。確かに若い女性には、お金を生む力がある。キャバクラ然り、クラブ然り、ラウンジ然り、それが成り立っているのも、そこで働く女性が後を絶たないからだ。言ってしまえば、ギャラ飲みもそこに参加する女性たち以上に開催する側(プロモーターや店)に多額の利益があるから後を絶つことが無いだけだ。“港区女子”なんてものも、ピックアップされたのはここ数年とはいえ、数十年前から存在している。仮に心のどこかで、ギャラ飲みやパパ活をしている自分に酔っているのであればそれは全くのお門違いだ。自分たちが最先端カルチャーに乗っ取っていると思っていようが、分かる人から見れば進化をやめた過去の産物でしかない。