女性向けAVに映るものとその視点
女性向けAVを観たことがある人はなんとなく分かったかもしれないが、実は、「男女」が映っている、というのが正解だ。
男性向けの映像が「奥行き」の配置で構成されているとするならば、女性向けの映像は男-女が右-左、あるいは上-下の関係で置かれる「広がり」の画面構成である(図3)。
つまり、男優を映すとか女優を映すとかではなく、多くのシーンはカップルを映しているのであり、カメラはセックスに関係ない第三者的な立ち位置に存在する。
ではさらに、応用問題を考えてみよう。
先ほど、男性向けAVを特徴づける技法として、カメラマンが男優を兼ねる「ハメ撮り」を挙げた。では、女性向けAVの「ハメ撮り」モノには何が映っているだろう?
SILK LABOが2013年に発売した『Versatile 一徹』の「#01 『非現実的な興奮を覚えるきっかけになるかも…』」は、ビデオレターを撮っていたカップルがハメ撮りになだれ込むストーリー。
この作品の場合、AV女優・宇佐美なながハンディカメラを持っているシーンにおいては、視聴者はエロメン・一徹の姿を見ることになる。つまり、AV女優とカメラの視界が重なってもAV女優がカメラを持っても画面に「女」が映り続ける男性向けAVとは、視線の対象が異なる。この作品はその意味では、「女」が「男」への眼差しを手に入れているといっていい。
しかし、タイトルがフェードアウトしてから作品が終わるまでの、ハンディカメラで撮影された47分15秒間のうち、一徹がカメラを持つ時間は21分50秒間、2人ともカメラを持たずに置いているのは20分45秒間だが、宇佐美がカメラを持つのはたった4分40秒間。すなわち、女性が「見る主体」である時間が圧倒的に短い。
さらに細かく観てみよう。いくつかのシーンで、カメラを持った一徹は「見てて」と囁き(他作品でも頻繁に聞かれる口癖だ)、宇佐美と見つめ合おうとする(図4)。
しかし作品中盤、一徹はカメラを置いた状態でも「見てて」と言うのだが、このとき宇佐美が「どこを」と聞き返すと、一徹は「カメラ」と囁き、自分ではなくカメラと見つめ合わせようとする(図5)。つまり、一徹の手を離れたカメラは一徹の目の延長となるのだ。
一徹がカメラを持って撮影している21分50秒間はもちろんのこと、カメラが2人の手を離れた20分45秒間もある意味で男性的な映像なのであり、女性向け作品ではあるが、男性への同一化を誘われる時間の方がずっと長いのである。
したがってやはりこの意味では、「見る男/見られる女」という権力関係、すなわち視線の不均衡が、女性向けAVにもなお温存されているのだ。
結局、『Versatile 一徹』「#01」は、無邪気に「楽しかったね」と言う一徹に対して、笑いながらも宇佐美が「うん、でももうやめよ」と応える会話で終わる。楽しかったのは視線のコントロール権をほとんど握っていた彼氏だけなのである。