10分に1回濡れ場があること」がルール?日活ロマンポルノが復活/日活ロマンポルノ

日活ロマンポルノ ポルノ映画 復活 ロマンポルノ・リブート・プロジェクト プロデューサー ※左からプロデューサー西尾さん、サブリーダー高木さん、宣伝滝口さん

 『ヒメアノ~ル』や『日本で一番悪い奴ら』など、数々のヒット作を世に送り出している大手映画会社、日活。
しかし、日活と聞いて多くの人の脳裏に浮かぶのは「日活ロマンポルノ」じゃないでしょうか。
一度はその火を消したものの、日本の成人映画の代名詞であり、今も根強いファンが多い日活ロマンポルノ。
そんな伝説的映画レーベルが生誕45周年を記念して、日本映画界を代表する監督陣、塩田明彦、白石和彌、園子温、中田秀夫、行定勲を迎え、「ロマンポルノ・リブート・プロジェクト」として復活。
豪華プロジェクトの概要と裏側を、プロデューサー、宣伝担当のみなさまにお話を伺ってきました。

生き残るために始めたのが「ロマンポルノ」

――AMの読者には「日活ロマンポルノ」って馴染みが薄いと思うんですが、まず、ロマンポルノとはどんなものなのか、どうやって発生して消えていったのか教えてもらえますか。

高木:「日活」は1912年創業、100年以上の歴史がある映画会社です。石原裕次郎や小林旭、吉永小百合のスター映画がヒットを続けていましたが、1960年代の半ばからテレビが普及し始めて、映画館に足を運ぶ人が少なくなってきたんですね。
映画産業が斜陽化して、会社の経営状態も悪化していく中で何とかして生き残ろうと、当時人気のあったピンク映画の製作に参入した。それが1971年、「日活ロマンポルノ」の始まりです。ピンク映画は低予算で作れて集客も期待できますから。大作や児童映画も作ってはいたのですが、中心はロマンポルノでやっていこうということになりました。

――いきなりロマンポルノ主体になったんですか? 今まで石原裕次郎の映画を撮ってた会社がって思うと、ちょっとびっくりしますね。

高木:ロマンポルノ路線は成功してその後十数年続くんですが、80年代になるとそれを脅かすものとして、家庭用のビデオデッキが普及し、AVが出てきたんです。日活ロマンポルノって本番行為をしているわけじゃないし、今観ると性表現もそれほど過激じゃないんですよね。当時は映画のレイティングが「成人」と「一般」しかなかったんですけど、今の基準でいうとR15くらいのものもたくさんあります。そうすると、自宅で手軽に観られて性表現が過激なAVにお客さんを持っていかれてしまうのは仕方ないですよね。
で、だんだん需要が減って、1988年にその歴史を閉じたんです。