改めるべきは女性の態度ではない

「男性優位で、息をするように女性差別をする人が多くいる」のはこの日本中のどこでもそうですが、特にそれが顕著な業界があります。お笑い界です。

「ちょうどいいブス」問題と時を同じくして、M-1放送後に男性若手芸人が自主的に配信した映像内で、M-1審査員の上沼恵美子に対して「更年期」「おばはん」などと暴言を吐き、炎上するという事件がありました。

私はそれを知ったとき「さもありなん」と思いました。お笑い界には「男にウケてこそ本当の笑い」「女にしか人気がないのは恥ずべきこと」という考え方が根強くあるようです。
お笑い芸人にとって「女性」とは、セックスの対象になる美しく若い女性だけが「価値ある存在」として認識され、不美人であったり、年かさの女性は「ブス」「おばはん」として嘲り、ネタにしていいものと認識されているのではないでしょうか。それも悪意なく。

その異常さに気づき、抵抗しようとする人もいるはずですが、クソミソジニーな大御所芸人たちがトップに君臨しているので、蔓延する女性差別の空気を変えることが難しいのでしょう(例えば渡辺直美は「ブス」「デブ」といういじりに対して「ヤダー」みたいなリアクションは一切せず「ん?なんか言いました?」みたいな顔で全部スルーしたりしています)。

なかでも特に「女性芸人」という存在に対しては、「本来は男だけで形成されるべき崇高な“お笑い”の世界に、俺たちの温情で間借りさせてやっている」という意識が少なからずあるのではないかと思います。女芸人はお笑い界の外にいるあらゆる女性よりも更に下、土足で踏みつけにして構わないと、無意識下で共有されているのではないでしょうか。

そんなお笑いの世界で、山﨑ケイが少しでも生きやすくなるようたどり着いた処世術が「ちょうどいいブス」なのだとしたら(実際に、「ちょうどいいブス」は先輩芸人から言われて、使い始めた言葉だそうです)、改めるべきは「自分をブスではないと思っている女性の態度」では決してなく「女性差別がまかり通る世界」です。

「ちょうどいいブス」という女性の自尊心を根こそぎ奪っていくような無礼な称号を与えられたときに、その価値観におもねるのではなく、それに対して疑問を投げかけるようなネタに昇華することが出来ればよかったのに、と思いました(でも山崎ケイの書いたものをいくつか読んでみたところ、ものすごくミソジニーな男性目線を内包したものばかりだったので、そういう期待をかけることはハナから諦めたほうがいいかも)。

「ちょうどいいブス」は、女性を尊重する気がないクソミソジニー男性にとってのみ「ちょうどよく」、いまの世の中には全く「ちょうどよくない」ので、聞き入れる必要は全くないということを声を大にして言いたいですし、「ちょうどいいブスの神様」らしい山﨑ケイに対しては「まずは自分が思っている以上に自分の発言が女性を呪い、生きづらくさせていることを受け入れなさい!」と伝えたいです。