今回のテーマは「夫婦の体調不良時」だ。
我々夫婦が、曲りなりにも大きな危機なく、約10年過ごせて来たのは、何はなくとも「健康」であったから、の一言に尽きる。
若い頃であったら「健康そう」というのは「他に褒めるところが何一つない」時に繰り出される禁じ手であったが、40近くなった今では、最上級の褒め言葉と思える。
ちなみに、褒めるところが何一つなく、顔もドブ色の場合は「個性的」と言われるようになる。
夫婦の危機にもいろいろあるだろうが、やはり病気ほど如何ともしがたいものはない。
他のことなら「我慢」と「諦め」の二手で何でも乗り越えられるというが、病気ばかりは我慢すると死ぬし、諦めると本格的に死ぬ。
病気になると本人がキツいのはもちろんのこと、それを見ている方も辛い。「楽しーい!」とフレンズになってしまう人もいるかもしれないが、それはもう夫婦として破綻しているので、今更病気ごとき、と言った感じだろう。
また介助が必要な状態ともなれば、肉体的にもお互い辛くなる。
さらに働けないともなれば、金銭的問題も出てくるかもしれない。
映画デビルマン風に言うなら、細胞が細胞を呼ぶ感じで病気が万難を呼ぶのである。
よって、健康には圧倒的感謝だ、健康でいられるなら心臓ぐらい捧げても良い。
だが基本的には健康であっても、風邪を引いたり、頭(ず)が痛かったり、己の腹がフジロックの会場になっている時もある。
そう言えば、中二病が「アイツ」を封印している箇所というのは、何故か腕とか目とかが多く「腹」の場合は少ない。
やはり腹を押さえて「クッ…あいつが暴れ出しやがった…!」と言っても「便所に行け」と言われるだけだからだろうが。
そういった、本人だけが「死ぬ」と思っていて、何ら命に別状のない病(ビョウ)にかかった時、どうするかというと、うちは大体「放置」である。
むしろ、ただの、風邪や頭痛、下痢の時、何かしてやれることがあるだろうか。
薬とか、ポカリを1ガロンぐらい買って来てくれと言う「おつかい」ぐらいならするが、あとは放置だ。
むしろ私が、病人のそばにずっと佇んでいたら逆に「病魔」っぽい、治るものも治らなくなる。
ただ、それは私たちの場合であり、もしかしたら、傍にいてほしいし何だったら手を握っていて欲しい。
やたら熱く作って来た粥をフーフーして食べさせてほしい、という夫婦も存在するのかもしれない。
それは別に良い。
拙者も看病から「汗ふいてあげる」という話になり、いつの間にかセクロスに突入しているエロ漫画を親の顔より見て来た侍である、否定する権利はない。
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