大人が勝手に

火葬場に到着。棺桶が火葬炉に入るのを見届けた後、斎場へ戻った。正直「この儀式わざわざ必要か?」と思ったが、最後まで見送りたい遺族もいるのだろう。

焼き上がりは2時間後。

その間、斎場で精進落しとして寿司を食べた。寿司桶を2つ頼んでいたが、老人と中年しかいないので1つで十分だった。1つにすれば5千円ほど浮いたのに、まことに遺憾である。
ちなみにドリンクは持ち込みもOKらしい。なので「おばあちゃんの大好きだったレッドブルで乾杯!」とかもできる。

寿司を食べながら、族長は「あんな老いぼれた弟の死に顔なんて見るんじゃなかった」と何度も言った。同じことを何度も言うのは老人あるあるだが、言う必要のない発言である。「コイツぼくが棺桶にシュート決めたらどんな顔するだろう?」と思いながら、無視した。

その後は再び火葬場に行って、焼きたてホカホカの骨を拾って、解散となった。族長に「次会うのは貴様の葬式だな」と渋くキメたかったが、リアルにそうなりそうである。

以上で本日のプログラムは終了。準備も進行もクレリさんにお任せなので、らくらくだった。しかしそれは出席者が少なかったからだろう。
親の葬儀を経験した友人たちは「親戚連中がギャーギャーギャーギャーやかましくて、発情期ですかコノヤローだったわ……」とげっそり振り返る。

帰宅後「うちは親戚づきあいがなくてよかったね」「ほんとそうだな」と夫と語り合った。

アル「それに族長みたいな親父が家にいるのに比べたら、両親がさっさと離婚してくれてよかったわ」
夫「俺も父親がいなくて本当によかった。ちなみに兄弟がほしいと思ったことも一度もない」

「子どもには父親が必要」「一人っ子は寂しい」とか、大人が勝手に言ってるだけなのだ。これだけ家族間で虐待や殺人が起きているのだから、家族の絆とか言うのはやめたらどうか。その幻想に苦しむ人はいっぱいいるのだから。

昔、夫に「父親に捨てられた的な心の傷はあるの?」と聞いたら「全然。キン肉マンなんて豚と間違って宇宙船から捨てられたんだぞ」と言っていた。
彼は小学生の時、母親に「パパとママが離婚したら、ママについてくるよね……?」と泣きながら聞かれて「クワガタを飼えるのであれば」とキッパリ答えたという。

私もこのたび父を自殺で亡くしたが、喪失感はゼロである。正直『進撃の巨人』の推しを亡くした時の方が悲しすぎて、一週間ほど体調を崩した。

そんな私だが、父を送り終わって、ひとつだけ後悔していることがある。