良かれと思ってポリス沙汰

kare-narukonbou

もうお分かりだろう、今回のテーマは「夫婦で意見がわかれること」だ。

上記のような場合はまだいい。まずそんなシチュエーションになることがないだろうし、いざとなったら棍棒で解決できる。

だが、夫婦はそうはいかない。基本片方が死ぬまで一緒だし、棍棒という手段も、それが原因で片方が死ぬ恐れがある。

それも明らかに一方が間違っている場合はいい。しかし「ただ意見が違う」「相手が間違っているわけではない」という場合が困るのだ。他人だったら、意見や趣味が違う人間とは関わらないように出来るが、夫婦はそうはいかない。多少の合わない部分は折り合いをつけてやっていかなければならない。

まず我々は、会話がないので意見が食い違うということがないのだが、決定的な「見解の違い」で憤懣やるかたない気分になることはある。

その違いとは「キレイの基準」である。

夫はキレイ好きである。そして私は汚い好きとしか思えない生活をしている。

多分、10人中、5億匹が夫のほうが正しいと思っただろう。私もそう思う。汚いよりキレイに越したことはない。

しかし先日、私の車の車検があった。私の車は正直、走るゴミ箱みたいなものなのだが、それでもお他人様に預けるときぐらいキレイにしておくか、と車を片付けた。

その数時間後、夫が「あなたの車掃除しといたよ」と言ってきた。

夫は私が「キレイにした」と思った車を「汚い」と判断し、さらに掃除したのである。

「オーサンキューサンキューファックユー」である。私の気がもう少し短かったら、良かれと思ってポリス沙汰だ。

このように夫は、私がキレイにしたと思った部分をさらに掃除してくることが良くあるのだ。

もちろん高圧洗浄機で、家の塗装をぜんぶ剥いだ、というレベルでなければ、掃除しすぎて悪いことはない。しかし腹が立つものは立つのである。

だが、夫が悪いことをしているかというと、全くしていないのだ。怒るわけにはいかない。

夫は燭へし派なのだ。そう思うしかない。

Text/カレー沢薫