金額ではなく侘び寂びが大切な「夫婦の買い物」/カレー沢薫

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超像可動 「ジョジョの奇妙な冒険」第五部 44.ナランチャ・ギルガ&エアロスミス

今回のテーマは「夫婦の買い物」だ。

我々夫婦が一緒に買い物に出かけるのは、およそ年に2回、お互いの誕生日だ。

うちは夫婦別財布である。固定費をどちらが払うかぐらいは決まっているが、あとは自由だ。よってイチイチ「このキャラが出るまで回したいんですが、かまいませんね!!」とナランチャにスパゲティを食わせたいフーゴみたいなことは言わない。

むしろ「俺たちは、このキャラが欲しいと思った瞬間、もう回し終わってないといけない」というプロシュート兄貴スタイルだ。

よって、配偶者に伝えるとしても「出るまで回す」などと言ってはいけない。許されるのは「出るまで回した」、つまり、事後報告のみだ。

そんなこと言われても困る。

私だって夫に「ぶっ殺す」と言われたら、やめろとか、加勢いたすとか、しんがりは任せろとか、もしかして拙者を?とか、色々言うことが出来るが「ぶっ殺した」では「自首しろ」ぐらいしか言えないし、ぶっ殺されたのが私ならもはや何も言うことができない。

よって、お互い欲しい物は自費で買い、特に許可を取ったり、報告もしない。

しかしお互いの誕生日だけは、飯をおごり、プレゼントをあげる、ということになっている。

プレゼントをあげる、と言っても、お互い、焼いてない食パン牛乳なし、のようなつまらない人間なので、サプライズとか俺の考えた最強のプレゼントとかを繰り出すこともなく、一緒に買い物に行き、本人が欲しいものを選び、会計の段階で祝う側が登場し、金を払う、というだけである。

もしかして、金だけ渡して、好きなモノを買ってもらえればいいのではないか。

そう思うかもしれない。しかし、それでは詫び寂びに欠ける。

先ほどまで影も形もなかったのに、レジ前で突然現れ、金だけ払う。そういう「財布」としか言いようのない働きを見せるのが「相手を祝う」ということであり「詫び寂び」なのだ。