親愛なるAM読者のみなさま、ごきげんよう。ものすごい愛です。
先日、九州地方では例年よりだいぶ早い梅雨入りを迎えたニュースを見ました。
わたしが暮らす北海道ではさすがに桜も散り、一年で最も過ごしやすい季節がやってきました。
家中の窓を全開にし、カラッとした風を全身に浴びながら、頼む~~~!!! この気候が一生続いてくれ~~~~~!!! と毎日強く願っております。
前回の記事では、結婚を考えている同棲中の彼がいるものの、遊びの価値観が合わないことで将来の生活に不安を抱えている女性からの相談でした。
結婚するうえでは切っても切り離せない遊びに対する価値観の違いというのは、なかなか難しい問題ですよね。
相談者の方には、「価値観の違いが露呈したときに、それを擦り合わせようとする価値観をお互いに持っているか」という部分に注目して彼との将来を考えてもらえたらいいな、と思います。
ひとりで生きることを決意したのに、それが揺らいでしまう
【相談】
初めまして。突然ですが、私はこの年齢まで一度も付き合った人がおりません。恋愛経験もありません。元父親が典型的なモラハラ人間で、男性に対しての不信感は人より強いです。それでも女子校育ちでもなく、それなりに誰かと出会う機会はあり、学生時代や社会に出て告白される事も年齢相応にはありました。けれどそこに人間としての好きはあっても、恋愛と呼ぶほど気にはなれず、この年齢まで1人で生きてきました。
14歳のころ、人生で一度だけ好きになった人がいました。習い事で知り合った、年上の人でした。好きな物がとても似ている方で、習い事の時間の合間に色々とおすすめを教えてくださったり、いつも話が弾んでとにかく楽しかったのを覚えています。恋人もいる方で、中学生の私と勿論どうにかなるようなこともなく、連絡先を聞く勇気もなく、相手の転勤を機に会えなくなりました。20歳を過ぎても私は友人の紹介などで誰かとデートをするたびに、あぁ、あの人との会話は楽しかったな、この人の話はなんてつまらないな、帰りたいな等と失礼なことを思うだけで、恋愛には至りませんでした。もう恋愛感情はなくなっても、どうしても忘れられずにいました。
ここまで忘れられないのだから、もう私に誰かを好きになるのは無理かもしれない、と25歳の時に思い、恋愛を望むこと自体をやめることにしました。それなのに年月が経って、気が付けば誰かを愛することも、同じように愛されることも知らないまま生きてきた自分のむなしさを突然感じるようになりました。かといって結婚願望があるわけでもなく、ただこの大変な人生を傍で歩いてくれる人がいてくれたらいいな、と思うのです。
人を好きになることも難しいのに、好きになった人に好きだと思われることはもっと大変な事のように感じます。周りにいるカップルや恋人の絶えない人はそんな大変なことをどうしてできてしまうのだろう、と本当に不思議に思います。自分に魅力はないかもしれませんが、ずっと一人で生きてきた人間がどういう風に人を好きになればいいのか分かりません。少し抽象的な相談になってしまい、申し訳ないのですが、お答えいただけますと嬉しいです(33歳)。
相談文を読んで、まずあなたが男性に対して強い不信感を抱くきっかけとなった父親に“元”がついていて少し安心しました。
現在、その元父親とどういった関係性なのかはわかりかねますが、物理的な距離があることが想像できて、純粋によかったな、と。
幼少期や思春期における経験は、大人になってからの思考や価値観、物事の捉え方に影響を及ぼすことは容易に想像できます。ですから、親からのモラハラを受けてきた人の中には、男性という存在そのものに嫌悪感を抱かずにはいられなかったり、男性に限らず人間全般に対して不信感を抱え続けたまま生活している、という方もいらっしゃるでしょう。
加害側(影響を及ぼした人や原因となる存在、尚且つ簡単には切り離せない関係性)が最悪であるということは大前提なのですが、それはとても苦しく、つらい場面が多いだろうなと、心苦しく思うのです。
あなたはそういった経験をしていながらも、決して男性全員を一括りにせず、一人ひとりをきちんと見たうえで、他人に対して丁寧に接しているように感じました。
「人間として好きにはなれるけれど、恋愛と呼ぶほど気にはなれない」と仰っていますが、人間として好きになれること自体がとても素敵なことですし、それは相手のことを蔑ろにしていないという証拠ではないでしょうか。
また、あなたはご自身のことを「自分には魅力がないのかもしれない」と評していますが、わたしはそうは思いません。
わたしは過去にエッセイというかたちで自分の過去や生活に触れる書籍を出させていただいていますが、自分の話、特にパーソナルの深い部分に触れる内容というのは、アウトプットをするにあたってとても消耗する行為だな、といつも思うのです。
かっこつけたり、見栄を張ったり、取り繕ったりするのはとても容易なことなんです。
でもあなたは、自分の気持ちに嘘をつかず、誤魔化さず、一つひとつ言葉を選びながら真摯な姿勢でわたしと向き合ってくださっています。
なにより、相談文の中に「私なんて」といった自身を卑下する表現がなかったことが、とてもうれしかったです。
そういった部分に、あなたの魅力がにじみ出ているように感じました。