「福々しい女」[フクブク・シイ・オンナ] fukbuk・ʃi・onna
生息地:可処分所得が比較的高く、典型的な幸せ家庭で多く発生する。とりあえず取り巻きは多いが、気付くと性的魅力が通用する異性以外に仲間がいない。
特徴:同性の友人と群れることは少なく、複数の異性と1対1で交わることが多い。他人から愛され過ぎて、逆に他人を理解することができない。真っ当な神経で関わると関わった方が病む。
「だって、好きになられちゃうんだから仕方ないじゃないの」
こういうセリフ吐いてみたい……と思ったそこのアナタ、ハイ、キタ、ど~ん!
地獄へお逝きなさい。
とてつもないモテ女子(モテ男子も)ってごくたまに見るけど、大抵“コミュニケーション障害”を抱えてる。
恋愛能力がとてつもなく、低い。
人がやたらと寄ってくるからか、寂しさみたいなのを感じることがないからなのか、平気で友達を捨てたり、平気でしれっと人を傷つけたりしてる。
例えば、恋人がいるのに付き合ってることを公言しないで、しれっと別の異性とデートに行くとか、好きでもないのに友達の彼氏にボディータッチをするとか。
厄介なのは、それらの行動に作為も悪意もないところ。
「こうすれば皆よろこんでくれるから、お望みに応じてやっているだけ。何がいけないの? アタシわかんない」とでも言いたげ。
えっとね、愛情のやりとりってみんな結構精神的エネルギーを使うわけ。
無邪気で無作為なモテアピールは、変な気を持たせるのでやめて!
注意したい! 叱りたい!
でも言ってもわかんないのこういう女。
そもそも「愛情」がなんなのかわかっていないから。
「可愛がられること」と「愛されること」の違いがわからないまま、子どもの頃に親から受けるような無条件の愛情が、大人の「恋愛」だと勘違いしている。
実はこの「福々しい女」は、2012年上半期シャルル流行語大賞第一位決定なの。
大河ドラマ史に残る低視聴率と誉れの高い「平清盛」の登場人物・待賢門院璋子(たまこ)を、彼女を憎む美福門院得子(なりこ)が表した形容詞。
●待賢門院璋子とは:鳥羽天皇の中宮。のちの待賢門院(たいけんもんいん)。幼少から白河院の寵愛を受け、その孫にあたる鳥羽に入内(じゅだい)してからも白河と関係を持ちつづける。鳥羽との間に雅仁(まさひと/後白河天皇)をもうけるが、鳥羽が得子(なりこ)に愛情をうつし、我が子たちが王家で冷遇されていることを知る。そして、その原因が自分にあることに気付き、初めて自らの愚かさを知る。(NHK「平清盛」HPより)
NHK「平清盛」HP
NHKの解説文も憎しみこもってるわぁ、と感心。
劇中は壇れい嬢が演じていて、その配役もぴったり。
デキる女得子は松雪泰子さまが演じているのだけれど、美貌と無邪気さで人の愛情を端から端まで“大人買い”する璋子が許せない。
「福々しい女」は人の好意を食い散らかすから。
「あら、こちらの男性からも愛情が、こちらの男性からも愛情が、じゃあとりあえずここからここまで頂くわ」と大人買い。
愛情という名のパンの大切さを知らず、パンがもらいたくて頑張っている人を傍目に「パンがなければケーキを食い散らかせばいいのに」と言う女。
大抵は食い散らかすこと自体できないんだっつの。
男女問わずみんな彼女に愛してもらいたくて、必死で愛情を捧げるけれど、どんなに素敵なケーキを差し上げても、「ケーキ、別に珍しくないわね」とその有難さを感じてくれない。
周囲は次第に疲弊し、諦め、その愛情は悪意に代わり、混乱をもたらす。
人の心の機微を操ってのし上がってきた得子は、「福々しさ」の危険性や、それによって苦しめられる人の気持ちがわかる。
だからこそ、本気で「ぶっ潰す!」。
得子がぶっ潰したことで、璋子は福々しく生きてきた結果、自分の愛情を争い合う父×夫、長男×次男、その他大勢の人間が悪意をぶつけ合って不幸になっていることをようやく知るの。
知って初めて、本当に人を「愛する」ことを知る。
得子、すばらしいコ。
「平清盛」を見ていない人にはなんのこっちゃわからないかも。ごめんなさい。
でもとにかく、モテまくることで周囲に混乱をもたらしているモテ女子を見つけたら、本気で「ぶっ潰す」こと。
中途半端な対抗心は、無様な結果に終わるだけ。
完膚なきまでに、あらゆる手段を使って、潰しなさい。
そうやって、どん底に落ちてからじゃないと「福々しい女」は自分が巻き起こしている「悪意」に永遠に気付かないから。
advice
福々ちゃんには気を付けて! 下手に近づくといらない悪意が自分の中にムクムクと出てきて醜い人間に。でも、自分の無邪気な悪意に気づくことができたなら、是非優しく接してあげて。