モデルは身近なカップルの破綻
―― 日本はオープンにセックスを語りづらい風潮があります。
セックスに関してパートナーとどこまで正直に向かい合えばいいのか、そしてその魅力の感じ方で男女に違いはあるのでしょうか?
監督「たしかに、ヨーロッパでは人前でキスしたり抱き合ったりする。でも、日本だとプライバシーな部分が影響しているのか、あまり人前ではできない。それが社会として違うのかなと思います。
でも、私の知っている限りでは、日本人は意外とオープンに語っていると思う。写真展とかで会う人はみんなセクシャリティについて語る人ばかりですよ。世界を色々と見てきましたが、その中でも日本はそういうものが語られる社会の一つだと思う。会う人が特殊というのもありますが……(笑)。
私の友人で日本に旅行にきた人も、乗った電車の中で普通のサラリーマンがエロ漫画を読んでいる姿に出会ったりしてるしね」
―― 写真家の荒木経惟氏や叶姉妹など、ノエ監督と交流のある人の印象かもしれませんね。それは日本人の感性というより、クリエイティブな人たちの感覚に近いと思います。
マーフィーとエレクトラが芸術家志望の設定であるのも、そこから来ているのでしょうか?
監督「マーフィーは映画監督志望だけど何かを成し遂げたわけではなく、エレクトラも一応絵は描いているがまだ初心者です。私自身の周りにはそういう人が多いのもあって自然にそういう設定になりました。
実際そういった友人でアーティスト的なことをやっているとは言うけれど、あまり作品を作っていないし、大した活動をしているわけでもない。根気もやる気もなくてパーティーばかりやっていますよ(笑)。
東京やパリやニューヨークのような場所でいつも問題になっているのが、《今日は仕事するぞ》と思っても、四六時中《パーティーに来ない?》って誘惑がたくさんあること。そのせいで翌日、二日酔いとかで全く仕事ができないとか……」
―― そういう意味ではやはり、身近な人を題材にしているのでしょうか?
監督「この映画で描いてるように、アルコールの飲みすぎやパーティーのしすぎで、カップルの関係が破綻するという失敗例をたくさん見てきました。自分の身の回りに頻繁にある光景をそのまま描いています。
アルコールを飲むと気を失って失言してしまい、翌日に《そんなこと言ってない!》とかそういうことの繰り返し。一番最悪なのが自分の言うことや他人の言うことを忘れるということで(笑)」
―― よくあります(笑)。
劇中、マーフィーはエレクトラに何でも求めたがる印象を受けました。「子どもが欲しい」とか「抱きしめてほしい」とか、そうした欲求が悪い方向に向かったのでしょうか。また、パートナーに愛を求めるだけではダメなのでしょうか?
監督「2人は相思相愛ですが、マーフィーはお酒が入るとバカなことをしてしまう。すぐそこに彼女がいるのに、トイレで別の女の人とヤってしまったりと愚かなところがあって。
彼女のほうもプライドが高いから、《私だって浮気したのよ》って見栄を張る。互いが見栄を張ることで、カップルとしてダメになっていく。一回の浮気でダメになり、それが2人のトラウマになってしまうというのはよく見聞きすることでした。
求めたがることが悪い方向に向かったというより、それぞれの愚かさや見栄の張り合いが二人を破綻させた原因だったと思います。
そして、エレクトラのほうがマーフィーより成熟していることが、マーフィーを幼く見せているのかもしれません」