「君はM!」指摘する根拠はなんだ?

そこで筆者は、興味本位からある調査を男性たちにしてみることにしました。
それは私のことをSだとかMだとか指摘してくる人に、逐一「それはどういう根拠ですか?」と、執拗に聞いて回ってみたのです。

ああ、なんて面倒な女でしょう。ちなみに最近手伝っている友達のスナックで出会う知らない殿方からのヒアリングが中心です。
するとどうでしょう。意外とみんな、どこがそう思うのか……と突っ込むと、曖昧な答えばかりが返ってくるではないですか。
「なんとなく」「オーラがそう!」とか、飲みの席ということもあり、まあ理由は適当です。
そうしてかき集めた回答を整理すると以下のようになりました。

<Mっぽい理由>
・いじられキャラだから
・ニコニコして優しそう
・エロそう

<Sっぽい理由>
・気が強そう
・口が悪い
・身長がデカイ

「ってこれって単にSとかMとか関係なく、性格と見た目の印象の話じゃないか!」
思わずまとめたところで(まあ大体予想はついていましたけど)、突っ込んでしまいました。私自身も、冒頭で「多少Mっぽく見える女」と自己評価をしていたけれど、人に言われたからといって「そうかなあ」なんて思う方が馬鹿げています。

ちなみにSMが好きな友人に、「じゃああなたが思うMとは何?」と聞くと、「Mは性格じゃなくて性癖だから、色んなタイプがいる。少なくとも、興味ない異性に雑に扱われて喜ぶ人はいない。MとかSとかとか言う前に、人として当たり前だろ!」と、きっぱり教えてくれました。
そりゃそーだ!

人をカテゴライズすることの弊害

今回の話は、飲みの席での常套句から発展したようなトラブルでした。でも「あなたって〇〇だよね!」と人をカテゴライズする場面って、よく見かけますよね。ちなみに筆者もついやってしまいますが、この「あなたって〇〇だよね!」というある種の決めつけは、その人を深く知る機会を狭めているのではないかと思ったりもします。

たとえば「この子はいじられキャラだからMっぽい」と自分の中で勝手に判断することで、その人の裏側にある別の一面を捉える機会を逃しているのです。
人の傾向をカテゴライズすることは、短時間のコミュニケーションでは有効ですが、相手をちゃんと知るためには、思ったそばから「でも、違うかもしれない」という手放しが必要です。

またこの「あなたって〇〇だよね!」は、自分にかけている呪いだったりもします。
「私って〇〇だから」
「僕って☓☓だから」
自分の経験や性格からくる自己認識ではありますが、同時に「でも今は違うかもしれない」というアソビを持たせないと、自分の可能性を狭める呪いに変わることもあります。

他者から「あなたって〇〇だよね!」とカテゴライズされることは面白いです。占いや各種診断が流行っているのもうなずけます。遊び感覚でやるならいいのですが、他人や自分自身からの指摘は、場合によっては思い込みが過ぎてしまうことも…。
毎日自分は変化している。少なくとも変わろうとしている人は、小さくても変化できているはずです。

なにかに自分を当てはめるのは、今日限りで終わりにしよう……。
自分も反省を込めながらそう綴っているわけですが、今さっきTwitterで性格診断アプリを開いてしまったばかりなので、本当にこのカテゴライズ欲というのは、厄介だなと思ったりするのでした。

Text/おおしまりえ

初出:2019.02.20