内容のない会話と恋愛の濃度
これは本当に毎回思うんだが、付き合っているあいだは膨大な会話をするのに、別れて数年たったとき、何を話していたのか思い出そうとすると、さっぱり出てこない。
学生のころは時間もあるから、夜中に平気で三時間ほど電話していた。となると、さすがに中身のある話をしないと成立しないのではと思うが、カップルという生き物は、会話を「ふふ、ふふふ、ふふふ……♡」みたいな言語だけで成立させてしまうところがある。「ふ」しか言ってない。
まあ、さすがにこれは極端ではあるんだが、「好きな人といれば何をしても楽しい」というのはひとつの真実で、無内容な話でいくらでも時間が過ぎていくとき、恋愛の濃度が高いと言えるんだろう。
付き合っている時は、彼女のかばんに茶色のカナブンがとまるだけで、盛り上がることができた。指輪を捨てるために歩きながら、私はそんなことを思い出していた。「カナブンとまってんじゃん」のひとことで、むこうがドカンとウケる。「うそ、なんでカナブン」の反応で、こっちもドカンとウケる。その後は、カナブン、カナブンと言っているだけで、時間がすぎる。
まさに、無内容の極み。
恋愛のピーク時において、笑いのハードルは極限まで下がる。そのとき、人はあらゆるものをイチャイチャのための道具にすることができるのであり、それは、茶色のカナブンという色気のない虫ですらそうなのだ。
しかし、恋愛が終われば、カナブンはただのカナブンでしかない。なぜ、われわれはカナブン一匹にキャッキャしていたのか。あんなものは、単なる茶色の昆虫ではないのか。それがかばんにとまることの、何が面白いのか。そう思ってしまうのが、「気持ちが冷めた」ということなんだろう。