キラキラ女子になりたかった私が、みじめな等身大の自分を好きになるまで

輝くということは影も生み出すということ

トイアンナ 恋愛障害 どうして「普通」に愛されないのか? Kevin N. Murphy

ネガティブな気持ちも、人生においては原動力となりえます。前回の記事に書いた通り、20代で何もかも失った私は、「高いところの空気を吸ってやる」と死ぬ気で勉強し始めました。

大学進学後は、がむしゃらにアルバイトや起業を経験。学生ながら年収はうなぎ上り、成績も絶好調。

それでも、恋愛はうまくいきませんでした。今まで人生で奪われてきた分を取り返したいと思って生きている私のような人間にとって、彼氏もまた自分がのし上がる道具に見えていたのです。

私だって、貢がせた上に5股をかけた彼を「キラキラした人生にふさわしいパートナー」として利用していました。殴られてもいい、生活費を貢いででもいいから、私から目をそらさず愛してくれるよね?という言外の暴力を彼に振るっていたのです。

「ダメな自分でも好き」だと、人間関係が楽になる

カウンセリングでの治療も終わり、私は「ダメな自分でもいいんだ」と思う力を手に入れていました。なぜVERY妻のように社会的成功にしがみつかないと不安になるのか。それは小さい頃に愛されなかったから、目に見える成功で「自分が存在してもいいんだ」と信じたいんだと。

でも、もう子供ではありません。私は自分で自分を愛してもいいのです。親に愛されなかったからといって、自分がそれにならって自分をいじめぬく必要はなかった。辛いときは誰かに共感してもらって、一緒にダメさを笑ってくれる人を友達にすればいい。好きな人とだけ付き合えば誰からも利用されないし、利用しなくていい。

そう思えてから、恋愛関係が変わりました。それまでは「私なんかでも見捨てないで、引き立ててくれる人」を探しては裏切られていました。貢いでも愛されない、暴力に耐えても愛されない、やっぱり私は孤独なんだと思い込んで。

それが「一緒にいて楽しい人がいい。私を大事に扱わない人はいらない。だったら一人でも大丈夫。だって私は私のことを好きだし」と思えた瞬間に、まともな男性しか寄ってこなくなりました。そのうち彼氏ができ、気づけば結婚までしていました。

恋愛障害から、卒業できたのです。